古今要覧稿

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  • 古今要覧稿の桜の部には、屋代弘賢の説として斯ういふことを述べて居る。 柳田国男『信濃桜の話』より引用
  • 古来苦辛してこれを漢名に当てたは『古今要覧稿』巻五一五から五二四までに見ゆ。 南方熊楠『十二支考』より引用
  • 何と仰天だろうとあるを読んで、そんな事をもしや邦書に載せあるかと蚤取眼のみとりまなこで数年捜すと、近頃やっと『古今要覧稿』五〇九に、『本朝食鑑』を引いて、この事を記しあるを発見した。 南方熊楠『十二支考』より引用
  • 江戸幕府の屋代弘賢が『古今要覧稿』執筆の為に諸国にその風俗習慣を下問するがこれへの回答として、朋信は領内の7ヶ組及び新潟町や長岡町の回答を取りまとめて文化14年に『越後国長岡領風俗問状』を執筆した。
  • 幕命によって『寛政重修諸家譜』・『古今要覧稿』・『集古十種』の編纂にも従事した。
  • 「古今要覧稿」に亥の子餅の項目があり、「蔵人式」の中に、禁中年中行事の1つとして記されている。
  • それらのうち、『和漢三才図会』や『古今要覧稿』などは、百科事典と呼ぶべき内容を備えている。
  • 江戸時代の屋代弘賢による『古今要覧稿』には「二神を祭る」という表現もあるが、現在は上記のように「浅間大神は木花之佐久夜毘売命の別称」としており、習合した1柱の神格を主祭神としている。
  • 文化11年、灌園28歳の時、屋代弘賢編の『古今要覧稿』の編集、図版製作の手伝いを命じられる。
  • 古今要覧稿によれば、「今木は新来漢人之地名也、現今今木を以て地名とせるは、大和、山城の二ヵ国と備前のみ」とある。 金達寿『日本の中の朝鮮文化 06』より引用
  • その他、喜多村筠庭の『喜遊笑覧』には「江戸にて近ごろ文政十二年の頃より」、『諸事留』には「天保十二年六月、例年七月七夕祭と唱」、斎藤月岑の『東都歳時記』には「七月六日、今朝未明より」、屋代弘賢の『古今要覧稿』には「たなばた祭、延喜式、七月七日織女祭と見えたるを初とせり」とある。