博文公

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  • 余談ですが、馬関ばかん春帆楼しゅんぱんろうかどこかで、伊藤博文公がお湯へはいった。 林不忘『丹下左膳』より引用
  • 橘之助は、博文公と、かなり、前から深い知り合いだったものらしい。 正岡容『随筆 寄席囃子』より引用
  • 伊藤博文公の『憲法義解ぎげ』を読むと、政党の発生を全然予想しなかった憲法であったことが明らかである。 豊田穣『松岡洋右――悲劇の外交官――(下)』より引用
  • ハンカチのあいだから伊藤博文公が渋い顔をのぞかせていた。 阿刀田高『猫の事件』より引用
  • 而して余が郷の先輩、吉田松陰先生もまたこの故に神と崇められ、伊藤博文公もまたまさに神と祀られんとしつつあり。 高橋哲哉『靖国問題』より引用
  • 故伊藤博文公と古くから近い関係のあつた家で、家の什器の一つに、往年同公が英京ロンドンで手に入れたといふピストル仕掛けのステッキがあつた。 河上肇『随筆「断片」』より引用
  • いろいろおもしろいものが陳列されている中に、伊藤博文公夫人が公の愛用のシガーのバンドをたくさんに集めて、それを六枚折りの屏風びょうぶに貼り込んだのがある。 寺田寅彦『柿の種』より引用
  • その一つの例に、伊藤博文公銅像台座がある。
  • また1950年4月10日には伊藤博文公墓所より門柱と門扉の寄贈を受け、それを正門とした。
  • しかるに明治天皇が憲法制定の事を勅定し給い、伊藤博文公が憲法取調の勅命を受けられてより、いよいよ「憲法」なる語がコンスチチューシオン、フェルファッスングなどに相当する語となり、帝国大学においても、明治十九年以来憲法なる語を用いるようになったのである。 穂積陳重『法窓夜話』より引用
  • 伊藤博文公のごときは、あまりに外面的に取り扱われて安価な浪花節的感激をまき散らしたにすぎなかった。 大澤真幸『戦後の思想空間』より引用
  • 「稲荷」と書いてイナリと読むことはだれも知っているが、伊藤博文公の出生地なるツカリも同じく「束荷つかに」と書く。 喜田貞吉『オシラ神に関する二三の臆説』より引用
  • この公会堂に於て故伊藤博文公が、ハルビン駅頭で鮮人に暗殺される三日前、盛大極まる歓迎宴が開かれたことがあるそうだ。 国枝史郎『赤げっと 支那あちこち』より引用
  • 欄間を飾る伊藤博文公の額もブランと宙に下っているし、床の間からは掛軸が外され、青銅製の釣鐘の置き物まで、裏返しになっていた。 海野十三『深夜の市長』より引用
  • あたかも伊藤博文公生地に似たる山野の風趣あるところにあり、ムッソリーニ氏両親の墓は地方民尊崇の聖地となり、参詣さんけい者絶えずと。 豊田穣『松岡洋右――悲劇の外交官――(上)』より引用
  • かつては、松方正義公爵、小村寿太郎外相、伊藤博文公なども、頭を刈りに来られたという由緒正しい床屋さんなのである。 東海林さだお『ショージ君のにっぽん拝見』より引用
  • 鍋屋横町の古本屋で「孝子伊藤博文公」「児玉大将伝」「ヘロドトスの歴史と人」青木巌等を買う。 伊藤整『太平洋戦争日記(一)』より引用

博文公 の使われ方