博多
全て
名詞
4,510 の用例
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博多までの切符を買って、ホームに入った。
二十分待って、二一時〇〇分発の博多経由の門司港行の普通列車が来た。
二人は、それに、乗った。
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西村京太郎『祝日に殺人の列車が走る』より引用
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それによって民衆が信仰を失い秩序の破壊に向う怖れがある。
また彼らの滞在した地は、山口でも博多でも、戦争によって破壊された。
京都を同じ運命から救うためには、この神父を追放しなくてはならぬ。
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和辻哲郎『鎖国日本の悲劇 (後編)』より引用
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朝と夕方および博多方面直通列車では415系で運転される列車がある。
日中の普通列車は鳥栖駅まで乗り入れる列車が多い。
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一週間前の夜、博多にいたこの二人の男女は、ではいったい何者なのか。
驍がいま、あらためてその不審に心奪われるのは、ほかでもない。
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赤江瀑『アニマルの謝肉祭』より引用
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なのに洋風なのだ。
博多人形の名人が作ったフランス人形のようなちぐはぐな美しさだった。
虚弱な感じはしない。
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飛鳥部勝則『バベル消滅』より引用
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福岡市としての発足のさいに仲裁案として同年に開通することになった九州鉄道の駅名を「博多駅」とすることによって県は議論の決着を図ろうとした。
博多駅の立地は現在の地下鉄祇園駅付近であって博多の辺縁に位置した。
福岡市境の農耕地だったため駅舎建設が容易であり、また小倉・熊本方面へ鉄道を結ぶに好都合であったと考えられる。
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顔までわからなかったのは残念だが、おそらく果物屋が目撃したのは、あの佐山憲一とお時の二人に違いあるまい。
彼らは、二十日の夜九時二十四分香椎駅着の上りで博多から来たのだ。
すると博多駅は九時十分ごろに乗車したことになる。
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松本清張『点と線』より引用
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なお2014年時点で、九州飛行機の母体となった渡辺鉄工は産業機械メーカーとして存続、防衛省向けに魚雷関連機器の納入を継続してもおり、さらにその母体となった渡辺藤吉本店も建設資材販売商社として存続している。
両社は場所は異なるもののいずれも福岡市博多区に本社を置いている。
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このまま今日は博多に泊まっていくことを告げると、彼は本気で驚いた。
山本文緒『ブルーもしくはブルー』より引用
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しかし湯平さんは、なぜかその子を規子さんからひきはなし、どこかへ消えてしまった。
そしてその翌年、昭和二十二年には博多で四歳ぐらいの男の子を育てていた。
なぜ逃げるように広島から消えたか。
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半村良『黄金伝説』より引用
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博多聖福寺の僧であり、外交僧として既に何度かこの国を訪れていた。
隆慶一郎『一夢庵風流記』より引用
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それがすむと、彼は構内にはいり、時刻表を見あげた。
二十分ばかりで博多のほうに行く下りの列車のあることを知った。
それを待つ間、刑事はポケットに両手を入れて駅の入口に立って外を眺めた。
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松本清張『点と線』より引用
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この日が、自分達にとって運命の日になりそうだと。
新幹線で博多に出た二人はそこから特急ハウステンボスで佐賀へと出た。
そして、肥前大浦駅に到着した二人はそこからタクシーに乗り込み、平本愛の実家へと向かったのだった。
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山田悠介『@ベイビーメール』より引用
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福岡空港からバスで博多駅に行き、上りの列車に乗って小倉に向かった。
羽草が所属する北九州ジムが小倉にあったからだ。
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沢木耕太郎『一瞬の夏』より引用
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女達磨も豊後竹田のものは野趣があります。
博多人形は名は聞えていますが、ほとんど昔の美しさを失いました。
終りに鹿児島辺で見られる馬具についても言い添えるべきでありましょう。
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柳宗悦『手仕事の日本』より引用
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この仕事が終ると奉行所からは労いの意味で菓子や金を賜わった。
本博多町の奉行所に行くたびあの通辞や役人たちは慇懃に彼を迎えた。
辱しめられたり、罪人扱いをされることは一度もなかった。
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遠藤周作『沈黙』より引用
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由布院から、久大本線の急行「由布2号」に、乗ることにした。
九時二〇分由布院発、博多行で、日田に着くのは、一〇時一八分である。
時間があったので、橋本は、公衆電話で、東京の小寺ゆう子に、連絡を取ることにした。
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西村京太郎『特急ゆふいんの森殺人事件』より引用
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いつも黒の無紋の着物を着流しにしている男だった。
上物の献上博多の帯は幾つ人の懐を狙った末に手に入れたものであろうか。
その直次郎が人並に恋をしている。
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宇江佐真理『髪結い伊三次捕物余話 さんだらぼっち』より引用
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六軒目で、やっと捕まえた。
一年ほど前、博多で一緒だったホワイト・レディが池袋にいたのだった。
中洲川端の馴染みの店へ、毎日のように連れていった可愛い娘だ。
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笹倉明『遠い国からの殺人者』より引用
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海のそばの神社や公園で野宿しながら博多まで行ったのも楽しかった。
でも、所持金がなくなり、住み込みで働く頃にはもう、塚田のエネルギー残量は少なくなっていたのだ。
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内田春菊『あたしが海に還るまで』より引用