単一約定
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明治時代から昭和14年まで続いた東京米穀商品取引所では、当初、ザラバ方式による売買が行われ複数約定値段による方法がとられていたが、大正5年に至って、単一約定値段による方法に脱皮すべく検討が加えられた。当時、大阪・名古屋などでは早くも単一約定値段制が採用されていたが、その方法は板寄せ法であった。同所では折衷法を採用することとなり、神戸穀物取引所の前社員の山村瑳磨太を招へいしその指導を受け練習の結果、同年9月1日から折衷法に移行した。
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この二つの方法は、価格形成の過程において相違はあるが、取引される「売り注文」と「買い注文」が同一であれば、いずれの方法によっても必ずその形成された価格は同一となる。明治時代から昭和14年まで続いた東京米穀商品取引所では、当初、ザラバ方式による売買が行われ複数約定値段による方法がとられていたが、大正5年に至って、単一約定値段による方法に脱皮すべく検討が加えられた。当時、大阪・名古屋などでは早くも単一約定値段制が採用されていたが、その方法は板寄せ法であった。
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折衷法が採用されたのは、板寄せ法に比し立会に活気があり、東京の気風にマッチした売買仕法であったことによる。なお、戦後に設立された商品取引所は21カ所であるが、設立当時から先物取引の売買仕法はすべて単一約定値段による競争売買の方法がとられた。
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その後、単一約定値段による競争売買の方法については、種々の事情により売買仕法をに変更した取引所があり、最終的には、平成3年4月の東京工業品取引所のザラバ仕法によるシステム売買がスタートするまで、全商品が板寄せ法になった。また、東京穀物商品取引所が昭和63年4月1日にコンピュータによるシステム売買取引へ変更するまでは、全商品が手振り板寄せ法による取引になった。
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また、商品ごとに一日の最終節において最高値幅・最低値幅に達した限月数によっては、その商品の翌日の制限幅が変更になる場合があるので注意しなければならない。see 東京穀物商品取引所二十年史戦後の商品取引所の格付先物取引においては、売買の締結、約定値段の決定は、単一約定値段による競争売買によって行われている。なお、銘柄別取引および実物取引においては、この売買方法によらず他の方法によっている。
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