千二百五十四年
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其次ぎのウヰリアム・ルブルック、此人はフランスのサンルイと云ふ王樣の命令に依て蒙古の方へ行つたのですが、これは成吉思汗の孫で、定宗の次に立つた憲宗の時に行つたのです。此人は今申す通りヨーロッパを出發したのが千二百五十三年で千二百五十五年にヨーロッパへ歸つて來ましたので、矢張り三年掛つて居りますが、此人の蒙古に居つたのは前のプラノ・カルピニよりも少し長くして千二百五十三年の十二月から翌年即ち千二百五十四年の八月まで、それですから足掛け九ヶ月居りました。九ヶ月の間蒙古の状態を能く視察しました。
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蒙古時代に東洋に旅行した西洋人の紀行は可なり多いが、中でも William of Rubruck の紀行が一番好い材料を供給する。Rubruck はフランス王の命を奉じて、蒙古の憲宗の廷を訪ひ、西暦千二百五十三年の十二月から、翌千二百五十四年の八月まで、約九ヶ月間蒙古に滯在した人である。彼は蒙古人の辮髮に就いて下の如く記して居る。
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