勧善懲悪史観

3 の用例 (0.00 秒)
  • 歴史学が実証主義を重視しすぎ、歴史認識や史学方法論を軽んじたことも国家主義的な歴史観の台頭を許す一因となり、昭和期に入ると国粋主義的な天皇を中心とする歴史観や勧善懲悪史観が隆盛するに至った。
  • 戦後の実証主義歴史学以前において御家騒動は、勧善懲悪史観から御家騒動に関わる人物の「忠臣」や「奸臣」といった儒教的評価による評論に終始していたが、戦後の実証研究では1965年に北島正元が『御家騒動』を刊行し、従来の実録・講談類の文芸作品による虚構を廃し、幕藩体制論の視点から個別の御家騒動を検討した。
  • 北島以降も御家騒動研究は、一次資料に依拠し勧善懲悪史観を離れた視点による方法論が基本となり、吉永昭は個別御家騒動に関する把握を行い、笠谷和比古は1988年に主君押込論を提唱した。