剰え

全て 副詞
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  • 今となってあれにせんを越されてあまつさえ、我々が支配として頭に頂かねばならぬとは情けない。 中里介山『大菩薩峠』より引用
  • あまつさえ髪は乱れてほおにかかり、頬の肉やや落ちて、身体からだすこやかならぬと心に苦労多きとを示している。 国木田独歩『酒中日記』より引用
  • あまつさえ、二日以来足の痛みは、今朝宿を出た時から常ではないので、この急峻な山道では一方ひとかたならぬ苦痛を覚えた。 大下藤次郎『白峰の麓』より引用
  • 彼等は両者の間に何等本質的な区別を見ず、剰え、槓杆・鉋・螺旋・楔等の単純な機械力を機械と呼んでいるのである。 戸坂潤『技術の哲学』より引用
  • 彼は周囲の事情が刻々に自分に不利に展開し、あまつさえ立派な自白と云うものがあるので、最早云い逃れられぬ羽目に陥っていた。 甲賀三郎『支倉事件』より引用
  • あまつさえ、最初は自分の名では出版さえ出来ずに、坪内さんの名を借りて、やっと本屋を納得させるような有様であったから、是れ取りも直さず、利のために坪内さんをして心にもない不正な事をせるんだ。 二葉亭四迷『予が半生の懺悔』より引用
  • の人は天台宗の達者である上にあまつさえ諸宗に亙ってあまねく修学して智恵の深遠なること常の人に越えている。 中里介山『法然行伝』より引用
  • 売春を生み出す社会構造がそのまま国家に是認され、剰え国策として積極的に利用するという体質は、戦後もさまざまな形で継承され売春問題の解決を遅らせることになる。 紀田順一郎『東京の下層社会』より引用
  • 自分らの解放せられた喜びを忘れて婦人の解放を押え、あまつさえ昔の五障三従ごしょうさんしょう七去説しちきょせつ縄目なわめよりも更に苛酷かこくな百種のなかれ主義を以て取締ろうというのは笑うべき事である。 与謝野晶子『婦人と思想』より引用
  • 幼い頃から周囲に邪魔者扱いされ、あまつさえ、信じる近侍たちからまで毒を盛られたその衝撃は、幼い姫の心を、永久に、暗黒の闇の淵へと追いやるには充分だったろう。 藤水名子『浪漫’s 見参!桜子姫』より引用
  • それほどお前が執着している魔術というものがあり、あまつさえ『黒い部屋』という象徴的な部屋の持ち主であるお前が、曳間に『黒魔術師』というニック・ネームを横取りされていることへの逆恨みさ。 竹本健治『匣の中の失楽』より引用
  • それなのに二人は、あたかも彼女が、会社の不利な情報を井戸毅に流し、あまつさえ鞍替えしようとしているとすら邪推するのである。 梶山季之『罠のある季節』より引用
  • 唯一人老婆の供を連れただけで、人気のない路地裏通りを徘徊はいかいし、あまつさえ大刀を抜いて大の男と渡り合おうとは、狐狸こり妖怪の所業と誤解されても無理はなかった。 藤水名子『浪漫’s 見参!桜子姫』より引用
  • 然るに昇は何の道理も無く何の理由も無く、あたかも人をはずかしめる特権でももっているように、文三を土芥どかいの如くに蔑視みくだして、犬猫の如くに待遇とりあつかッて、あまつさえ叔母やお勢の居る前で嘲笑ちょうしょうした、侮辱した。 二葉亭四迷『浮雲』より引用
  • 私のカード・マジックを手放しで褒めたたえ、あまつさえ英語まで褒めちぎってやまなかったのも、いまにしてうなずける。 江國滋『アメリカ阿呆旅行わん・つう・すりー』より引用
  • それどころか、もう、お人よしらしく冗談めかした調子を棄てて、真面目に、あまつさえ、彼の落ちついた顔つきには凡そ不似合な熱中の色さえ浮べて、夢中になってまくしたてるのだった。 チェーホフ/中村白葉訳『チェーホフ短編集「燈火」』より引用
  • 就中なかんずく儂の、最も感情を惹起じゃっきせしは、新聞、集会、言論の条例を設け、天賦てんぷの三大自由権を剥奪はくだつし、あまつさのうらの生来せいらいかつて聞かざる諸税を課せし事なり。 福田英子『妾の半生涯』より引用
  • あまつさえ、外記は或る合戦のおり修理大夫に随って進んでいたが、急に立停って、是より先へは御無用に候、只今人糞を拙者踏み申したるが、如何にもその臭気甚し、如何様いかさま敵近所にありと修理大夫を制した為に、待伏せていた徳川勢は長蛇を逸した。 五味康祐『十二人の剣豪』より引用
  • 然るに、一方、現在瀰漫びまんするところの大衆作家諸君の作品は、史上実在の人物、例えば近藤勇の名前を方便上借り来って、史実を曲げ、気儘な都合よき事件を創造し、あまつさえ勝手なる幽霊主人公を自由自在に操り来り操り去る等、歴史小説としては許されざること甚だしきものが少くないのである。 直木三十五『大衆文芸作法』より引用
  • 東夷の島国の王が「天子」を称するのは固より剰え対等な関係を求め、字面では「没落の途にある皇帝」を意味する「日没處天子」という語句に煬帝はいたく立腹したが、当時隋は高句麗遠征を控えて外交上倭国との友好関係は必要と判断し、裴清を倭国へ派遣した。