前衛俳句

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  • 前衛俳句は、全共闘運動の鎮静した70年代には急速に沈潜していった。
  • 兜子は、昭和三十年代にはいわゆる前衛俳句の関西を代表する俳人だった。 大岡信『名句歌ごよみ〔夏〕』より引用
  • 昭和三十年代、いわゆる前衛俳句が俳句界を席捲せつけんしたが、作者はその旗手だった。 大岡信『名句歌ごよみ〔夏〕』より引用
  • 戦後の前衛俳句の旗手として頭角を現し、社会性俳句運動の主導者となる。
  • 関西の前衛俳句運動の推進者として金子兜太と並び称された。
  • 前衛俳句運動はこの二者を中心として展開し、内面意識の表現や新たな詩的感覚を目指す中で折々に無季俳句が作られていった。
  • 特定の俳人に師事をせず、俳風においては前衛俳句系俳人として活躍したが、後には伝統俳句へと変化した。
  • 同誌は遅刊で知られたものの、前衛俳句の一大拠点となった。
  • 前衛俳句運動は難解化・抽象化に対する批判、前衛俳人同士の対立が起こったこともあり、やがて俳壇に起こった伝統回帰の流れの中で収束していった。
  • 安保闘争の前後は前衛俳句が盛んになった。
  • 近代俳句史においては、無季の問題は明治末期から大正期にかけての新傾向俳句運動、昭和初期の新興俳句運動、昭和30年代の前衛俳句運動という三つの俳句革新運動において提示され、時代ともに深まりを見せている。
  • 但し、新興俳句及び前衛俳句の影響を強く受けているほか、夏石番矢のキーワード論、リンク論に賛同しているため、無季、自由律、多行形式といった非伝統的な傾向にも理解が深い。
  • 実作においては初期には富澤赤黄男らを中心とした「太陽系」「薔薇」などで展開されたが、無季俳句の議論が深まるのは昭和30年代の前衛俳句運動においてである。
  • 前衛俳句の旗手であった俳人・高柳重信と、重信最初の妻山本篤子との長女として、埼玉県戸田市に生まれる。
  • 句風は富澤赤黄男や阿部青鞋の影響を思わせる散文風のほか、高柳重信を受け継いだ多行形式を試みるなどしており、小野裕三は前衛俳句と療養俳句の稀有な邂逅と評している。
  • 中村は俳句を「芸」と「文学」から成り立つものと考えており、後者に欠けるとして「ホトトギス」派の伝統俳句を、前者を放棄しているとして新興俳句、前衛俳句、社会性俳句を批判した。
  • その後の1989年、金子兜太編による『現代俳句歳時記』に「無季・ジュニア」の部が作られ、また高柳重信を師とする夏石番矢は、季語による俳句に替わるものとして「キーワード俳句」を提唱、1996年に『現代俳句キーワード辞典』を編んだが、前衛俳句運動以降は無季俳句をめぐる大きな動きは起こっていない。