初陣
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わずか二週間の訓練で初陣を迎えた自分たちは格好の実験材料であった。しかしそこには善行という人物の祈りがあった。
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ベーリングと北里との連名の論文の内容からみても、コッホの述懐からみても、血清療法に関する初陣争いは、明らかに北里に軍配があがりそうである。だが、ここでは、そのような初陣争いがわれわれの興味の対象ではない。日本人に科学・技術の創造性がありやなしやを考えるとき、明治二二年から三年という、わが国の近代化のきわめて早い時期に、北里のようなごつい成果が突出してくるという事実を、われわれは、どう受けとめればよいのか、そこのところが、われわれの中心課題なのである。
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じつによくできとる。この土地はわしの初陣の場所じゃから、わしにはとくに興味があるのです。カラバーに面して通路があり、ツールの渓谷がある。
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ほんものの戦場を知っている人は、あの熱さを思いだして。まだ初陣を果たしていない若者には、熱さになれる練習にはなるでしょう。
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鎧が父譲りの甲冑《ス ー ツ》でなかったなら、パーンの命はなかっただろう。フレイム王国の現状を考え、パーンはこの初陣の話はしないことにした。騎士たちは不満の声をあげるが、パーンは適当にごまかしておいた。
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出陣を思うと、心が躍ってくる。率いる兵、二千という初陣には珍しい多数であることも、気持を明るくした。長尾家が即時に徴用できる兵は、八千名だと言われる。
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ジョイス中尉は、ダーヴィッシュは影も見えないというので、失望した。ここで一働きやれば、エジプトにおける初陣を大いに飾れるというものだ。しかし現在のままでも、上官に強い印象を与え得るえがたい機会なのはたしかだ。
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つい最近帰省してきたばかりの彼は、家庭に対する清純な清い感動で、胸裡をさわやかにしてきたところであった。そしてきょうこそパリ文明の戦場における、彼の初陣の日であったのである。真実の感動は伝わり易く、しばしの間は三人とも、黙って互いに顔を見合せるきりだった。
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なにより、レヴァにはもう一つ、危惧すべきことがある。レヴァを除いた三体のマザーシリーズはこれが初陣であるということだ。レヴァの戦闘経験を引き継いでいるとはいえ、高濃度のオーロラ粒子内での戦闘はそのレヴァでさえ暴走を余儀なくされた。
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脇差をぬいて、石突きから二尺ほど切りおとして、それで戦った。思いもかけない初陣ではあったが、恐怖など少しも感じなかった。暗の中に真っ黒になってどよめきよせる敵勢の中に霜を帯びた薄の穂のような槍の穂先や刀の光がそよぐのを見ると、きびしい緊張が凛々と身うちにみなぎり、歓びに似たものが胸に湧き立った。
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それは、若武者の虎之助が家臣を預けられた初陣でもあったからである。虎之助は二日前、上司の蜂須賀小六に物見の同行を命じられた。
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部下を四、五名連れて行った。その中には、味方の誰かが率いて来た初陣の息子でもあろうか。まだ十三、四歳にしか見えない少年武者もひとりいた。
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上杉家の主立つ武将が総動員された戦いであり、本庄繁長の武名が一躍有名になった戦い。この戦いは後に繁長の主君となる上杉景勝の初陣であったとも伝わる。永禄4年、上杉謙信と甲斐の武田信玄が戦った第四次川中島の戦いの軍議において、上杉家臣の長尾藤景は謙信の戦術を批判、これをきっかけに謙信と藤景は対立するようになっていた。
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彼の迷宮街でのスタートは第二期の中では遅いものではない。二日目にテストをパスして、第二期の第一陣として初陣を経験した。そこで部隊が壊滅した。
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源田は駆逐艦で青島に向い有馬正文大佐と共に現地調査を行う。源田の初陣であり敵の弾下は気持ちのいいものではなかったという。
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初陣は日本における武士階級の子弟が初めて戦闘行為に参加することをいう。初陣の年齢は個人差があるが多くの場合、元服前後の10代前半が多く、親は子供の将来の安寧を願い必ず勝てる戦いに参加させる傾向があった。
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それでも二〇万人からの将兵が搭乗し、その生命と未来を、宇宙の真空と壁一枚へだてた艦内空間にゆだねているのであろう。そのなかには、自分と同じような初陣の者もいるのだろうか。ユリアンは、自分の周囲にいるパイロットたちを見わたした。
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