列車加農

6 の用例 (0.00 秒)
  • 組み立てを経た本砲は1931年、九〇式二十四糎列車加農として制式制定された。
  • 終戦後、放置されていた本砲は九〇式列車加農などとともにソ連軍に接収されたものとされているが、具体的な行方や所在は不明である。
  • 九〇式列車加農は通化への移動のため分解されており砲撃を行うことができなかったが、四十一糎榴弾砲はシベリア鉄道イマン迂回線の鉄橋を砲撃し、さらに砲身が射耗するまでソ連軍に砲撃を続けた。
  • 虎頭要塞の国境守備隊も改編され、砲兵隊は中隊数が激減し、九一式十糎榴弾砲や四一式山砲などの軽砲が引き抜かれたものの、試製四十一糎榴弾砲・九〇式二十四糎列車加農・七年式三十糎長榴弾砲・四五式二十四糎榴弾砲・九六式十五糎加農・四五式十五糎加濃などの重砲はそのままであった。
  • また、もとは東京湾防備のため富津射撃場に配備されていた最大射程50kmを誇る九〇式二十四糎列車加農も、上述の理由のため改軌を経て試製四十一糎榴弾砲の移動と同時に本要塞に配備されている。
  • 虎頭要塞の主要火砲は、帝国陸軍のみならず陸海軍において、屈指の威力ないし長射程を誇る先述の試製四十一糎榴弾砲および九〇式二十四糎列車加農を筆頭に、既存要塞砲であった七年式三十糎長榴弾砲・四五式二十四糎榴弾砲、重加農たる九六式十五糎加農・四五式十五糎加農の大口径長射程重砲であった。

列車加農 の使われ方