出陣学徒

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  • 敵アメリカに例え十万の艦船あるも、日本にまた百万の出陣学徒あり。 山田風太郎『戦中派虫けら日記』より引用
  • 出陣学徒壮行早慶戦では中心的な役割だったせいか、これまで数々の映画や演劇、テレビ番組で取り上げられている。
  • この月の二十一日、明治神宮外苑競技場で、文部省主催の出陣学徒壮行会が行なわれた。 吉田満『鎮魂戦艦大和(上)』より引用
  • 出陣学徒は学校ごとに大隊を編成し、大隊名を記した小旗の付いた学校旗を掲げ、学生帽・学生服に巻脚絆をした姿で小銃を担い列した。
  • 昭和十八年十月二十一日、その直前まで俊介たちがボールを投げ、バットを振っていた神宮球場は、出陣学徒壮行会の場に変わった。 赤瀬川隼『捕手はまだか』より引用
  • ここに、敗戦の二週間前、四国沖の上空で敵戦闘機と交戦して散華した海軍の攻撃機搭乗員、林尹夫ただおという出陣学徒がいる。 吉田満『戦中派の死生観』より引用
  • 試合から5日後の10月21日には激しい雨の中、明治神宮外苑競技場で出陣学徒壮行式典が挙行され、多くの学生たちが出征し、両校の野球部員にも戦死した者が出た。
  • 出陣学徒壮行会は、各地でも開かれた。
  • 早稲田大学では主将を務め、1943年10月16日に東京・戸塚球場にて開催された出陣学徒壮行早慶戦に出場した選手のひとりである。
  • 昭和十八年十二月の学徒出陣組、例の十月二十一日の明治神宮外苑競技場における「出陣学徒壮行会」で送られたわれわれのクラスだけが、唯一の例外として志願ではなく召集の形を強要され、またわれわれ以降のクラスはすべて二等兵、二等水兵の経歴をふまなければならなかったのである。 吉田満『戦中派の死生観』より引用
  • 学徒出陣を控えた1943年10月16日には出陣学徒壮行早慶戦を強行した。
  • 太平洋戦争中の1943年10月16日に日本で行われた野球の「出陣学徒壮行早慶戦」の開催に尽力した関係者、また徴兵を前に「最後になるかもしれない」野球試合に臨む選手たちの生きざまを通して、情熱を持って目標に挑むことの素晴らしさ・平和や命の尊さを問いかけた。
  • この第1回学徒兵入隊を前にした1943年10月21日、東京の明治神宮外苑競技場では文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれ、東條英機首相、岡部長景文相らの出席のもと関東地方の入隊学生を中心に7万人が集まった。
  • 軍陣戦野からの手紙は、もとよりこうしたものにとどまらず、むしろ、時代の支配的思潮を反映して、愛国尽忠の決意を示したものが多い筈であるが、異常な状況のなかでなお、人間のいとなみとして書簡をつづることが絶えなかったことをたしかめるためには、やはり、このような出陣学徒のものが、最も適切である。 池田弥三郎『手紙のたのしみ』より引用
  • 早大でも正捕手の座を掴み、10月16日に開催された出陣学徒壮行早慶戦でも「2番・捕手」で先発出場している。
  • スポーツ以外では1943年10月21日の出陣学徒壮行会の実況放送、1953年2月1日のNHKテレビ開局アナウンスも担当したことでも知られる。
  • 早稲田大学法学部に進み、1943年には出陣学徒壮行早慶戦にベンチ入りする。
  • 大島は同年10月に早稲田大学の戸塚球場で行われた「最後の早慶戦」と言われる出陣学徒壮行早慶戦で5番打者・右翼手として出場した。
  • 出陣学徒の人数は伏せられた。
  • また、「学徒出陣五十年」となる1993年に、阿利の呼びかけにより、全国270校の私立大学の学長・総長が『有為の若人たちを過酷な運命に委ねるほかなかったことに、深い胸の痛みを覚える』と、かつて大学が出陣学徒を歓呼の声で送り出したことについて反省する共同声明を発表した。
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出陣学徒 の使われ方