出演記録が見当たら

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  • 満39歳となる1941年まで同社で出演を続けたが、その後の出演記録が見当たらない。
  • 大塚は、甲陽映画の崩壊とともにこの全勝キネマに移籍し、数本に出演したが、移籍の年以降の出演記録が見当たらない。
  • 満38歳となった1940年9月5日に公開された『米若の妻』を最後に、以降の出演記録が見当たらない。
  • 同年に発行された『日本映画俳優全集・男優編』には、存命中であるとして東京都杉並区下井草の連絡先が記されているが、満75歳を迎えた同年以降の出演記録が見当たらず、以降の消息も不明である。
  • 第二次世界大戦終結後も同撮影所に所属して、脇役出演をしていたが、満46歳のときの1950年4月15日に公開された木村恵吾監督の『浅草の肌』以降の出演記録が見当たらない。
  • 満37歳の誕生日を目前にした1936年9月23日に公開された、時代劇『研辰旅ごよみ』に藩主役で出演したが、同作以降の出演記録が見当たらない。
  • 再度東京に戻り、東宝映画東京撮影所に入社、1941年4月9日に公開された石田民三監督の『をり鶴七変化 前篇』に出演しているが、満26歳で出演した同作以降の出演記録が見当たらない。
  • 大戦中の1942年に製作・公開された長尾史録監督の『大いなる行進』以降、出演記録が見当たらない。
  • 同年中に極東映画に移籍したが、満24歳となった翌1937年12月31日に公開された正月映画『初姿忍術道中双六』に出演して以降、出演記録が見当たらない。
  • 満54歳のときに出演した、1956年6月8日公開、五所平之助監督の『或る夜ふたたび』以降の出演記録が見当たらない。
  • 卯多五郎満59歳最後の日、翌日還暦の誕生日を迎える1934年12月31日に公開された小石栄一監督のトーキー『斬風三尺剣』以降の出演記録が見当たらない。
  • 堀川は、同撮影所でも多くの映画に助演、1942年1月10日、戦時統合により、新興キネマは日活の製作部門等と合併して大映を形成し、堀川もこれに継続入社したが、満54歳となった1943年3月11日に公開された『風雪の春』以降の出演記録が見当たらない。
  • 満40歳となった1928年3月14日に公開された、マキノ省三による大作映画『忠魂義烈 実録忠臣蔵』に出演、菅谷半之亟政則を演じた以降の出演記録が見当たらない。