出帆
全て
名詞
1,130 の用例
(0.01 秒)
-
さて、かいつまんで話せば、私たちはその港で数人の船員を雇い入れて、無事に帰航を続け、ヒスパニオーラ号がブリストルに到着したのは、ちょうどブランドリーさんが伴船の準備をしようと考えかけていた時であった。
出帆した時に乗っていた人々で船と一緒に戻って来たのは五人だけだった。
まさしく、「残りの奴は酒と悪魔が片附けた」のだ。
…
スティーブンソン・ロバート・ルイス『宝島』より引用
-
而してそれらの人を吐出すと同時に船はその日にも出帆するのであった。
岡山城下は長い町で、ちょうど五月であったから、両側の軒先に幟を立てていた。
…
内藤鳴雪『鳴雪自叙伝』より引用
-
商業の旗は地球の國國にひるがへり 自由の領土のいたるところに吹かれてゐる。
商人よ 港に君の荷物は積まれ さうして運命は出帆の汽笛を鳴らした。
…
萩原朔太郎『蝶を夢む』より引用
-
星がまたたいている。
重右衛門は、岩松の言葉どおりに、出帆したほうがよいような気がした。
…
三浦綾子『海嶺(上)』より引用
-
そして、まもなく気持もすっかり落着き、安らかに眠った。
翌日、二人は彼の母を訪ね、その翌日、ヨーロッパに向かって出帆した。
子供をつくろうとこころみることは可能だったが、二人ともなにはともあれ子供が一番ほしかったのに、コーネリアはそう何度もそれをこころみるわけにはいかなかった。
…
ヘミングウェー/高村勝治訳『われらの時代に/ヘミングウェー短編集1』より引用
-
これ以上、この国に滞在しても、ろくな思い出しか残らないだろう!
パスパルトゥーはアメリカ行き出帆間際の船をたずねてみようと思った。
船に乗せてもらえ食べさせてもらえれば報酬はいっさいいらないから、コックかボーイに使ってもらいたい、そう頼もうと思った。
…
ヴェルヌ/木村庄三郎訳『80日間世界一周』より引用
-
と言葉残して芳野が吐く一条の黒煙をおき土産に品川を出帆されました。
此方の花里でございます。
…
鈴木行三『根岸お行の松 因果塚の由来』より引用
-
とくにフィックスがカルナティック号に同乗することになったのは、おたがいに、うまいことを思いついたものだ、と興じ合った。
カルナティック号の話から、同船の出帆が数時間早くなった話になった。
…
ヴェルヌ/木村庄三郎訳『80日間世界一周』より引用
-
N氏の話によると自分の旧知のK氏が今ちょうどドイツからイタリア見物の途上でナポリに来ているとの事であった。
自分は会いたかったが出帆前にとてもそれだけの時間はなかった。
思いもかけぬ異郷で同じ町に来合わせながら、そのままにまた遠く別れて行くのをわびしくもまたおもしろくも思った。
…
寺田寅彦『旅日記から』より引用
-
事実クライド湾で試運転したときには、パテント・ロッグ〔目盛のついた円の上をまわる針によって船の速度を示す機械〕による測定で一時間一七海里を出したのである。
それゆえ現状のままでこの船は出帆して世界を一周することができた。
ジョン・マングルズは船内の整備に心を使いさえすればよかったのである。
…
ヴェルヌ/大久保和郎訳『グラント船長の子供たち(上) 地の果ての燈台』より引用
-
佐伯は二十日の午後一時、神戸出帆の船で洋行することになっていました。
で、十一時頃、第一突堤のほとりであの男にあい、一緒に飯でも食いながら、見送ってやる約束になっていたんです。
…
横溝正史『蝶々殺人事件』より引用
-
彼は一丁ばかり往ったところで、一軒の旅宿を見つけたので入って往った。
謙作はその日の夕方出帆した高雄丸と云う台湾航路の船に姿を見せていた。
…
田中貢太郎『港の妖婦』より引用
-
捜索隊はいまでも東京をうろつきまわっているはずで、その山本をいま住んでいる伊皿子の寮へ呼ぶことも険呑なので、その寺で逢うことになった。
いまや、三十日の出帆以前に、二十五日の集合が危険なものになった。
…
山田風太郎『明治波濤歌(下) 山田風太郎明治小説全集 10』より引用
-
水夫たちは綱を弛めていた。
船は彼アンドレの来るのを待って出帆しようとしているのであった。
…
レニエ『燃え上る青春』より引用
-
上甲板の一等船室の十二号がロンドン事務所で予約されていましたので、その番号を部屋つきの給仕に教えまして、荷物を運びがてら案内させました。
約半時間後、二人はまた私の事務所に来て、出帆時刻を尋ねました。
私は三時だと答えました。
…
クロフツ/長谷川修二訳『フレンチ警部最大の事件』より引用
-
船が出帆する前なら、何かちょろまかす手段もあったかもしれません。
でもそうでない場合には、ここ六週間のうちに盗まれたにちがいないのです。
…
クリスティ/山崎昂一訳『ミス・マープルのご意見は?1』より引用
-
一同は邸をまわって、入江の方へ道をとった。
船着場には三人の巡査が立っていて、警察艇が出帆の用意をして待っていた。
だれ一人、三人目の巡査に、目もくれなかった。
…
クイーン/石川年訳『エジプト十字架事件』より引用
-
日本人にインドやヨーロッパを見せよう、或はヨーロッパ人に日本人を見せよう、という気持は、彼らの間にすでに流れていたのである。
ダ・ガマの船はこの一行を乗せて一五五一年十一月に日出の港を出帆した。
途中広東でサンタ・クルスという船に乗りかえたが、その船長ディエゴ・ペレイラがシャビエルにいろいろシナのことを話したので、シャビエルのシナ伝道の気持が起ったといわれている。
…
和辻哲郎『鎖国日本の悲劇 (後編)』より引用
-
艫の処を見ると定さんが旗竿へもたれて浜の方を見ながら口笛を吹いているからそこへいって話しかける。
第二中学の模様など聞いているうち船員が出帆旗を下ろしに来た。
杣らしき男が艫へ大きな鋸や何かを置いたので窮屈だ。
…
寺田寅彦『高知がえり』より引用
-
ほら、別れのとき投げ合うテープだ。
してみると、これは女王丸が横浜を出帆して間もないころの写真と思われる。
…
横溝正史『怪獣男爵』より引用