出來るから
17 の例文
(0.00 秒)
-
「犬」と、女は其の邊に遊んでゐる・痩せた・毛の拔けかかつた・茶色の小犬を指す。一時間もかかれば出來るから、あれを石燒にして馳走しようといふのだ。
...
-
二人のこんな話しは、いつまでたつてもつきなかつた、彼女の云ふ山や川や木が、彼の眼にすぐに感じられ。彼のいふ空や草や建物は、彼女の心にすぐ氣づいて思浮べることが出來るからであつた。もしも二人がはなればなれの見も知らない土地に生ひ立つたとしたらどうであつたらう。
...
-
近代觀に映じた、ある時期の古代生活とでもいふものであらう。老語部を登場させたのは、何も之を出した方が、讀者の知識を利用することが出來るからと言ふのではない。殆無意識に出て來る類型と擇ぶ所のない程度で、化尼になる前型らしいものでも感じて貰へればよいと思うたのだ。
...
-
元來、人間の體の最も效果的な美しさは、立姿にあるんです。人間が他の動物より進化論的に區別の出來るのは、人間は直立して歩くことが出來るからださうです。どんな動物でも脚を一直線に延長して、足の甲と直角をなす位置で直立することは出来ないさうです。
...
-
彼は又目録は必ず亡書を記すべきだといふ。これは亡くなつた本を書いておくと、一時亡くなつた本も或は搜し出すことが出來るからである。昔の劉歆の七略・漢書藝文志、その後六朝までの目録にも、すべて亡書を書いてあると云つてゐるが、彼が六朝の目録を見たかどうかは疑はしく、隋書經籍志に梁以來の亡書を擧げてあるのから推したのであらう。
...
-
-
私は直ぐ立ち去るよ。さうすれば君はその鞄と、その所屬物とを、君の眞直な良心に適ふやうに處分出來るからね。
...
-
どうせ別れるかの女の物を今更ら曲げさせるのも面白くない。お鳥のセルの被布が六日の朝出來るから、その日を出發ときめて、義雄は氷峰に相談して見た。すると、 「醵金でもしようかと思つてをつたが、君がいつ歸るか曖昧であつたから」と云ふ。
...
-
然し私の行爲は罪惡ではないと思ひ返しました。それは妻子を復活せしむることが出來るからです。家庭を形ることによつて妻は長い困難から救はれます。
...
-
後世の文はその體は皆戰國に備はつて居り、著述といふものは戰國になつて初めて專門の仕事になつた。詩の教といふのは必ずしも韻を蹈んでゐるばかりでなしに、その詩の精神といふものが、事を論じ、ものを形容するのに自由自在であつて、如何なる方法にでも思想を表現することが出來るから、それであらゆる著述といふものは詩教から出發するのである。かういふので、易教・詩教・書教、この三つによつて、古來の著述の源流を論じたのであるが、その外にこの人は禮教といふ篇を書いたけれども、これは最初に出版された文史通義には載つて居らぬ。
...
-
正月ごとに私の此處に來ますのは、一つはその時に押懸けて來る所謂年始客から逃るゝためでもあるのですが、本統はその頃此處に來てゐますと梅の花の咲き始めを見ることが出來るからです。年の寒さで多少の遲速はある樣ですが、先づ一月の十日には咲き出します。
...
-
それは言葉の支配から獨立であるといふ意味でひとつの全く自由なる、根源的なる經驗である。しかるに經驗はロゴスに於て表現されることによつて救はれ、公共性を得て、安定におかれることが出來るから、我々の經驗がロゴスの指導のもとに立つてをり、また立つことが出來る限り、我々には何の不安も起ることがない。最も公共的なロゴスである常識にもとづいて凡ての存在と關係し、常識の言葉の解決し得るやうにあらゆる存在と交渉する普通の生に、不安の屬することがないのは當然であらう。
...
-
されば吾妻鏡が、鎌倉時代前半の史料として、非常に貴重なものであることは、勿論であるけれど、其吾妻鏡に載つて居るからと云つて、吾人は直に之を輕信することは出來ぬ。けれども吾妻鏡に記載してある時代は、此記録を第一の便りとして、兎に角見當をつけることが出來るからまだしもであるが、鎌倉時代の後半、即吾妻鏡を離れた時代に入ると、何を重な史料として研究したらよいのか、殆ど雲をつかむやうな氣がする。武家記録の皆無であることは論を費すまでもないが、公卿日記の方も、園太暦の時代に入るまでは、殆ど缺乏と云つてよろしい。
...
-
どこまでも事物を離れずして、事物其物なりと取つて行く所に、素朴乍らに甚だ力強いものがある。何となれば之を事物に即して見るが故に、事物を離れて存在する絶對を作出す如き見方を自然に防止することが出來るからである。かの哲學は之を知識の上に即して考ふるが故に、動もすれば事物を離るる恐れがあり、相對に對して絶對を誘導成立せしむることは自然の勢ひである。
...
-
而も、沖繩語普通の倒置修飾格と考へる事が出來るから、「親しい母」と言ふ位の意を持つ。即、我が古代語の「妣が國」に適切に當るのである。
...
-
それから到頭一緒に遁げて教員の出た水戸の地へ落ちついたのである。父の家業が穀屋であるので此度は辛棒出來るからと父へ泣きついて幾らかの資本を貢いでもらつて小さながらも水戸で穀屋の店を開いて居る。教員といふのは猫のやうな男なのに女は反對の勝氣な性質ではあるし自分が資本を拵へたといふので世帶のことは一切女の切り盛りであるとかいふのであつた。
...
-
それが最近代の清朝になつて初めて俄かに流行し出したと言ふのは、即ち帖學に全く旨味がなくなつた結果として、どの道か外の進路を取らなければならぬのであるから、詰り此處に出たのであつて、是が即ち又明以來の一種の率意派の筆法の行はれる流行と丁度相合したのである。作意派の筆法を稽古すると、古來から相傳の筆を用ひ、相傳の法に檢束される必要があるけれども、率意派によると云ふことになると、總てのものを廢して、さうして勝手に自分で適當なる方法と考へた所で、其の筆の用ひ方、筆の作り方も總て自由にやることが出來るから、それで一時大に行はれるに至つた。
...