円筒分水

21 の用例 (0.00 秒)
  • そこで、適切な水の分配を行うために、昭和9年に円筒分水が設けられた。
  • 当時の技術の粋を集めた久地円筒分水は1941年に完成した。
  • 流路の概要は円筒分水に詳しい地図が掲示されている。
  • 発電に利用された水は円筒分水工に送られ寿庵堰・茂井羅堰に農業用水として供給されている。
  • 久地円筒分水が造られるのと同じ頃、七面山の反対側を溝口市街へ流れていた平瀬川の洪水が問題となっていた。
  • 取水口から十二号分水までの水路は明治25年に完成したが、ここから三線の幹線水路に分配する水の量を巡って争うが起こるようになったことから、昭和9年に円筒分水が設けられた。
  • 特に二ヶ領用水の水を正確に分けるために設けられた分水樋については、かつては木の板を用いた簡素なものであったが、正確な分水が出来ないことから水をめぐる争いが絶えず、かつての分量樋に代わり、高度な技術を投入して久地円筒分水が造られるほどであった。
  • 比丘尼を祀った弁天社は信仰を集め、現在は成田山久地不動尊として久地円筒分水付近に今も残っている。
  • しかしその後も水量をめぐる争いが絶えず、より正確な分水を求めて現在の円筒分水が築かれ、また同時期に余剰の水を新平瀬川に流す施設も造られたことから、左記の各施設はその役目を終えた。
  • これは二ヶ領用水が久地円筒分水へ流入する手前で余剰となった水を平瀬川経由で多摩川へ流す施設であり、新平瀬川がかつての久地大圦樋の代替施設として利用されているものであるため、平瀬川の水が久地円筒分水へ流入することはない。
  • なお、かつての分量樋の遺構は残っていないが、円筒分水より少し上流の二ヶ領用水沿いに「二ヶ領用水久地分量樋跡」の碑が建てられている。
  • 高津区久地で合流した 2つの流れは、久地円筒分水に流入するとともに、一部が新平瀬川経由で多摩川に戻される。
  • 久地円筒分水は、神奈川県川崎市高津区久地一丁目にあり、二ヶ領用水の水を下流の各地域へ正確に分けるために造られた分水樋である。
  • そこで、久地円筒分水へ流入する水量を調整する堰と、余剰の水を多摩川へ流す施設を改築するとともに、七面山にトンネルを掘って反対側の平瀬川の水を久地に向けて流し、そのまま多摩川へ流すための流路が設けられることとなった。
  • この方式を採用したのが神奈川県川崎市高津区久地にある久地円筒分水で、同地にあった二ヶ領用水の分水樋の改修に際し、1941年に造られたものである。
  • この内寿庵堰・茂井羅堰へ供給するルートにはダム完成後の1957年農林省による国営胆沢川農業水利事業の一環として円筒分水工が建設され、両堰に平等な用水供給を行い水争いを未然に防いでいる。
  • 土木工事分野では「円筒分水工」と呼ばれる。
  • 湖の直下に、水を滝之湯堰に9割、久保田堰に1割で分水する、直径7mの円筒分水がある。
  • 円筒分水が築かれる前は、ここから分岐する 4方向へ、その二ヶ領用水の水を流域耕地面積に応じて分けるための「久地分量樋」が江戸時代中期に築かれ、その分量樋を洪水から護るための水量調整施設「久地大圦樋」とともに、改修されながら使われていた。
  • 二ヶ領用水久地円筒分水とも称する。

円筒分水 の使われ方