内蔵頭

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  • 南北朝時代の山科教言以後、代々内蔵頭を輩出して朝廷財政を運営した。
  • 死体が発見されたのは西本願寺の裏、松平内蔵頭くらのかみの下屋敷の脇の道であった。 平岩弓枝『御宿かわせみ 31 江戸の精霊流し』より引用
  • 左近衛中将、大和権守を経て、延長8年正四位下・内蔵頭に叙任される。
  • 内蔵頭か、右馬頭か、大蔵卿かのどれかに就任させてくれと具体的にかいている。 久保田正文『百人一首の世界』より引用
  • 内蔵頭、左近衛権中将を経て、寛平5年参議に任ぜられて公卿に列した。
  • 槍奉行林内蔵頭元賓の子として江戸に生まれた。
  • 天平9年無位から従五位下に叙爵され、翌天平10年内蔵頭に任ぜられる。
  • そこが松平内蔵頭の下屋敷の外で、道を折れてすぐの所に宇兵衛は死体となってころがっていたという。 平岩弓枝『御宿かわせみ 31 江戸の精霊流し』より引用
  • 永暦元年に重盛が従四位上・内蔵頭となったのに対して、頼盛の官位はそのまま据え置かれた。
  • 言継が先に立って内蔵頭の御用所に案内した。 安部龍太郎『戦国秘譚 神々に告ぐ(上)』より引用
  • その後、大宰少弐・衛門督・右衛士督・内蔵頭・宮内卿などを歴任する。
  • 天平12年外従五位下に叙せられ、天平15年内蔵頭に任ぜられる。
  • 成立時期は不明であるが、11世紀末期に内蔵頭であった藤原宗忠が自邸内に御服所を設置して女工を置いて天皇の御服の裁縫を行わせたとあり、内蔵寮の管轄下にあったとみられている。
  • 朝廷の財政の最高責任者である内蔵頭として、後奈良・正親町両天皇下で逼迫した財政の建て直しを図ることになる。
  • 前方に、宏大こうだいな森がくろぐろと見えるのは、おそらく備前岡山三十一万五千二百石・松平内蔵頭まつだいらくらのかみの下屋敷であろう。 池波正太郎『剣客商売 05 白い鬼』より引用
  • 寛治3年内蔵頭として賀茂臨時祭の記事に名がある。
  • どうもおかしいと思案しながら、つい、道を折れて松平内蔵頭様の下屋敷の所をまがる。 平岩弓枝『御宿かわせみ 31 江戸の精霊流し』より引用
  • 天長10年仁明天皇の即位に伴い従四位上に昇叙され、のち内蔵頭・右京大夫を歴任した。
  • 近世の天皇や女官の装束の調進は内蔵頭を世襲した山科家の責任でおこなわれ、中世の御服所の任務を継承していたが、こちらは御服所という名称ではなかった。
  • 内蔵頭は家来衆を呼びもせず、鉄の鞭を振るいながら追い回し、庭に逃れた新助は築山に立つ木の上へよじ登ってそこに隠れた。
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内蔵頭 の使われ方