内蔵寮

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  • 罪状は明らかでないが、内蔵寮の倉庫から官物を盗んだものとみられる。
  • 正式には内蔵寮領率分そつぶんと呼ばれる七口の関銭は、八年前の天文十八年にも三好長慶に奪われたことがあった。 安部龍太郎『戦国秘譚 神々に告ぐ(上)』より引用
  • また、内蔵寮もこれとは別に率分関を楠葉に有しており、山科家が事実上管理下に置いていた。
  • 京都七口の関所から上がる関銭は、朝廷の内蔵寮くらりようで徴収することになっている。 安部龍太郎『戦国秘譚 神々に告ぐ(上)』より引用
  • ただし、長官・次官以外は全て内蔵寮の役人が占めており実質上内蔵寮に統合されていたと見られている。
  • しかも関銭は朝廷の維持費用に当てるために、内蔵寮くらりようの役人が徴収することになっていた。 安部龍太郎『戦国秘譚 神々に告ぐ(上)』より引用
  • 前記のように内蔵寮と浅野長矩が長官を務める内匠寮とは職務上関連が深い。
  • さらに11世紀後半になると天皇の衣服を生産する御服所が内蔵寮頭邸に創設され次いで貴族や院のところにも御服所が設置されるに及び縫殿寮はほぼ有名無実と化した。
  • 成立時期は不明であるが、11世紀末期に内蔵頭であった藤原宗忠が自邸内に御服所を設置して女工を置いて天皇の御服の裁縫を行わせたとあり、内蔵寮の管轄下にあったとみられている。
  • また、将軍が天皇から節刀を授けられる際に内蔵寮が衾を支給したからとする説もあるが、どの説も確証はない。
  • 平氏一門は院庁別当・左馬寮・内蔵寮などの要職を占め、政治への影響力を増大させた。
  • 慶満は各地の押領を行い、特に「汁谷口」を含むと思われる内蔵寮率分関を押領したことが有名である。
  • 特に節会などの饗宴において天皇から諸王や殿上人に下賜する御物は内蔵寮から出された物が用いられた。
  • それに伴って内蔵寮が持っていた所領や課税権限が山科家の家産としてみなされるようになる。
  • 平安時代後期から鎌倉時代には、天皇の所用品は内蔵寮が管理・調進し、男性貴族のものはそれぞれが調達、女性貴族のものは官より賜う例であった。
  • そのため鍵を実際に取り扱う中務省の典鑰や大蔵省・内蔵寮の主鑰を実質的に統率した。
  • 御厨子所は御料の酒肴を供して、内蔵寮は王卿にこれをたまう。
  • 内蔵寮の職掌は大蔵省より毎年宮廷運営のために送付された金・銀・絹などをはじめとする天皇家の財産管理・宝物の保管・官人への下賜・調達など天皇家関係の出納事務である。
  • 前嗣は内蔵寮くらりようの米蔵を開けて施粥しじゆくをしたり、家を失った者たちを寺社の境内けいだいに作った仮小屋に収容したりして、何とか民の悲嘆をいやそうとしたが、衰微した朝廷の力で出来ることは限られていた。 安部龍太郎『戦国秘譚 神々に告ぐ(上)』より引用
  • また、これとは別に内蔵寮・内匠寮や交易雑物を納める諸国の国衙にも織手が置かれていた。
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