内蔵之助

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  • それが即ち平さんというので、本郷片町の神原内蔵之助くらのすけという三千石取りの旗本屋敷の馬丁でした。 岡本綺堂『半七捕物帳』より引用
  • 江戸時代後期の剣客近藤内蔵之助が寛政年間頃に創始した流派で、古武道としては比較的新しい。
  • たとい越後善吉があるにしても、斎藤内蔵之助があるにしても、それだけの粉本では十五席の長い人情話は出来あがらない。 岡本綺堂『寄席と芝居と』より引用
  • かつて大槻内蔵之助おおつきくらのすけ演劇しばいありし時、かれ浅尾を勤めつ。 泉鏡花『照葉狂言』より引用
  • 近藤内蔵之助には近藤三助以外の高弟に小幡万兵衛、主に柔術を伝承した戸田角内がいる。
  • 剣の使い手として知られ、近藤内蔵之助は三助と手合わせし天然理心流を編み出したともいわれる。
  • 開祖近藤内蔵之助は遠江国出身といわれ、江戸に道場を構えたが、近隣の農村へ出向き指導したため、門下生の数は大変多くなった。
  • その後、天然理心流指南免許を受けて、跡取りのいない内蔵之助の養子となり天然理心流2代目を襲名した。
  • 勿論、これにも黙阿弥作の「斎藤内蔵之助の馬の別れ」という粉本が無いでもないが、多助の方が情味に富んで、聴衆を泣かせるように出来ている。 岡本綺堂『寄席と芝居と』より引用
  • また近藤三助の高弟の一部は、初代近藤内蔵之助の高弟である小幡万兵衛に改めて指導を仰ぎ、指南免許を受ける事となる。
  • 墓地には、「剣聖光武神」と大書された屋根付きの墓石があり、天然理心流の祖近藤内蔵之助と二代目近藤三助の墓がある。
  • だが、井上河内守の上屋敷と安藤内蔵之助の屋敷の間を抜けるその道はすぐに松島町へ出て、水野壱岐守の門前の先は左へ行けば大川へ右へ走れば堺町だの住吉町だの、神田の町屋がぎっしりと並んでいて、その露地のどこへもぐり込んでも追跡は到底、無理であった。 平岩弓枝『御宿かわせみ 26 長助の女房』より引用