内務省地理

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  • 彼の論稿は、従来の東洋的な内務省地理局風の地理学ではなく、ドイツで見て学びそして身に付けてきた地理学だった。
  • なおこの年発行された内務省地理調査所の地図では、復旧工事の計画が全くまとまらない状態であったことから、通常なら復旧後の形で描かれる不通区間に関して、仮駅設置時の状況がそのまま描かれた。
  • 原本は明治維新後に旧内務省地理課に保管されていたが、関東大震災で焼失して現存しない。
  • 戦前の地図データはこの陸地測量部による物で、終戦により参謀本部が解体されるのに伴い業務は内務省地理調査所に移管され、その後国土地理院となって現在に至っている。
  • 外国語学校から大阪師範学校の教師に転じたが、明治11年に廃校になったため内務省地理局に入り、ここで林業の重要さに開眼する。
  • その後、内務省地理局長に就任した桜井は気象観測網の整備を進めるが、明治政府には国営で整備する余裕はなかった。
  • これに基づく最初の標準時は1888年1月1日午前0時0分より内務省地理局観象台から電信により各地に通報されて利用された。
  • 取調帳の原本は内務省地理局地誌課が保管していたが、関東大震災の際に全て焼失した。
  • 洋装活字本としては、内務省地理局が編纂した物を全8冊にまとめて1969年に歴史図書出版社が発行したものの他に、大日本地誌体系刊行の一環として雄山閣から1957年に全13巻で発行された物、この地域を東京都区部・三多摩・埼玉等の地区別に分けて1981年に千秋社から発行されたものがある。
  • この副本により明治10年9月には小図を元に文部省から「日本全図」が発行され、明治11年6月には中図を元に内務省地理局より「実測畿内全図」が発行された。
  • この史官的思想によって、日本では明治初期から太政官地誌課あるいは内務省地理局において、『皇国地誌』の編集を全国的に進行させていた。
  • 内務省地理局長時代には全国の気象測候所の創設を働きかけ、気象観測網の基礎を築いた。
  • フルベッキやクニッピングらの手により日本で地震計による地震観測が始まったのは1872年であるが、その8年後の1884年、当時の内務省地理局第四部 験震課長を務めていた関谷清景が全18条からなる『地震報告心得』をまとめ、全国約600か所の郡役所から地震の情報収集を開始した。
  • 内務省地理局が1978年頃編纂した「旧高旧領取調帳」には、6町114村が記載されている。
  • 明治政府成立後、太陽暦導入を期に『日本長暦』・『皇和通暦』の改訂が企てられ、明治13年に内務省地理局より『三正綜覧』が刊行された。
  • 明治11年5月に内務省地理局に地質課が設置されると、和田維四郎は内務省御用掛として東京大学より内務省地理局地質課に移り、ナウマンと協力して、最初の全国的地質調査である二十万分の一地質図幅調査事業の開始する。
  • 明治12年6月に内務省地理課長心得となる。
  • 編纂には内務省地理寮があてられた。
  • 東京大学理科大学物理学科を卒業し中央気象台の前身である内務省地理局測量課気象掛に勤め、気象事業の統轄と気象の調査研究に一生をささげた。
  • 内務省地理局・農商務省山林局に勤務を経て、明治17年政府の命により万国森林博覧会参加要員として渡英、ヨーロッパ各地の森林視察の後、翌年フランスに行き「ナンシー水利林業学校 」に3年間在学、専門の植物地誌学を研鑽する。
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