兵卒数

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  • 彼らの一人一人が、並の兵卒数人、あるいは数十人分の働きをするのは間違いない。 三雲岳斗『カーマロカ 将門異聞』より引用
  • 歩兵連隊の急増にともない、毎年の徴集兵卒数も急増することになる。 大江志乃夫『凩の時』より引用
  • 四、五日前、竹橋の砲兵大隊の兵卒数名が近くの小料理屋で飲み食いをした。 松本清張『象徴の設計 新装版』より引用
  • 軍備拡張による兵卒数の増加とは逆に、懲治隊に収容される兵卒の数は日露戦争後の再開時を最高としてへる一方であった。 大江志乃夫『凩の時』より引用
  • 先手さきては両藩の下役人数人で、次に兵卒数人が続く。 森鴎外『堺事件』より引用
  • 彼らはまず大沢郷を占領、それから諸県を攻略し、陳を取るころには兵車600乗・騎兵1000余・兵卒数万の大勢力になっていた。
  • 次に兵卒数人が行く。 森鴎外『堺事件』より引用
  • しかし、徴集兵卒数が急増するにともない、これら多数の兵卒を三年間も兵営にしばりつけておくことが重大な社会問題となった。 大江志乃夫『凩の時』より引用
  • 劉嬰・方望らは兵卒数千人を率いて安定郡臨涇に入城し、劉嬰は方望を丞相、弓林を大司馬にそれぞれ任命した。
  • 兵卒が1年間の務めを終えて交替の時期になり皇帝がもてなす際、兵卒数千人が自らもう1年勤めたいと申し出て、蓋寛饒の恩に報いようとするほどであった。
  • さらに、西郷が征韓論を主張して受け入れられなかった時に兵卒数百名を引き連れて鹿児島に帰った後にも、政府は西郷や将校、兵卒に俸給を払い続け、加えて武器製造所をも鹿児島に作ったことが、間接的に西南戦争の原因になったとして、政府を批判している。
  • さきの統計からみると、大正十年代の軍縮による兵卒数の減少を考慮にいれても、全兵卒にたいする懲治隊・教化隊編入兵卒の比率は義務教育四年制時代の年代の兵卒が高く、それ以後はへっている。 大江志乃夫『凩の時』より引用
  • 周章は徴兵しながら進軍し、函谷関に到るころには兵車1000乗、兵卒数十万の大兵団となり、かつて何人も敗れなかった函谷関を抜くが、ここに到って秦の章邯の軍に敗れた。
  • 天正8年の肥後国矢崎城攻めの際は病を得たため、家老の山口重秋・種子田秀高を名代に兵卒数百人を率いさせたが、重秋・秀高を含む50余人が討ち死にしている。