公平無私
全て
名詞
72 の例文
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沈んでいようと、錨を下ろしていようと、彼女にはどうでもいいのだ。我々は公平無私に世界のさし示すいかなる暗示をも考慮する心構えはできている。
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この事は不断に厳密な自己省察を必要とするのであるが、先生はこの点について非常に注意を払っていた。そうしてこの心がけがやがて人生全体に対して公平無私であろうとする先生の努力となって現われた。
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文壇の人々が排技巧と言い無結構と言う、ただ真を描くと言う。冷やかな眼ですべてを描いたいわゆる公平無私にいくばくの価値があるかは私の久しい前からの疑問である。単に著者の個人性が明らかに印象せられたというに止まりはしないだろうか。
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一体どうした訳だろう。公平無私とかありのまゝにとかを常に主張する自分だのに、歌に現われた所は全くアイヌの宣伝と弁明とに他ならない。それには幾多の情実もあるが、結局現代社会の欠陥が然らしめるのだ。
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石の欄干の上には家庭教師が腰を下ろして、手にバットをもってそっぽを向いていた。冷然と構えて公平無私にこの場を主宰しているところ、まさに戦争の女神という格好だ。門番小屋の子供たちはすごい声で「ママにいうから」となんべんもどなるが、母親は耳が遠くて目下のところ夢中で洗濯にかかっている。
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そしてその解釈が国家社会の為に、また世道人心の上に、幸いにいささかでも裨益するところがあるものならば、差し支えない限り、それを宣伝してみたいと自分は思っている。勿論歴史家の研究は公平無私であらねばならぬ。曲学阿世の譏があってはならぬ。
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諸君はこの改革を行う方法の研究を始めるだろう。そしてもし諸君がその研究をするのに、科学上の研究をする時にやったのと同じ公平無私で進んだなら、諸君は必ず社会主義を採用するだろう。曲論僻説とは縁を断ってわれわれの中にはいって来るだろう。
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たとえばですね、あなたは私の考えに同調されて、公平無私の精神からそのことを私へ打ち明けようとなさって私を引きとめられたのですよ。私はひとつの希望を失っても、また別の希望をつかむわけです。
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いや、市場で「合理的」に需給を決定している個人たちに混じって、ひとり「非合理的」に行動している人間がいるのではないか。それは、公平無私に市場全体の需給の乖離に応じて価格を調節している市場せり人のことである。すなわち、「見えざる手」の比喩が主張する個人「合理性」即社会「合理性」という基本原理は、その実、市場せり人という自己の利益に無頓着な「非合理的」個人の存在を暗黙のうちに仮定しているから可能であったのだ。
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俺が公平無私だとか思わん方がいいぞ〜。
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しかしいままで衷心から、公平無私にわしのためにここで働いてくれ、どこかほかへ行こうなどとは考えず、またわしの秘密を他人にもらすことのない人間をひとりとして発見できなかったのだ。
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集団において「公平」を目指し、公平に物事を進めるためには、その集団における個の軽重に拠らない。従って、個人の利益を優先したり、個人の主観で判断することは避けなければならず、このため公平無私という概念も存在する。ちなみに、「この上なく公平であること」を意味する「至公至平」という言葉が存在するが、めったに使われない。
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手紙をおいてじぶんでは公平無私と思う態度でいちいちの事情をしんしゃくし、おのおのの話のどちらがたしからしいかと慎重に考えてみたのでしたが、なかなかうまくまいりませんでした。双方のがわでただ主張するだけだったからです。
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防寨の上に死するも、もしくは亡命のうちに倒るるも、それは時の事情による一つの献身として是認さるる。献身の真の名は、公平無私ということである。見捨てらるる者らをして見捨てられしめよ、国を追わるる者らをして追われしめよ。
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おそらく人間はいつも幼年時代という魔術に支配されているのであって、この幼年時代は、人間にとって、決して公平無私とは言えない記憶によって不満なき至福の時代として映し出されている。過去が不完全でぼやけてしまった記憶でしかないならば、これをわれわれは伝承と呼ぶわけだが、これは芸術家にとっては格別に刺激的なものである。
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ところがその批評で、君は今世紀一の阿呆の書いた作品だといっている。公平無私の批評だと思っているのかい?
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それならば、「国家」もまたごくつきあいやすい普通の人間のごときものでなければ、とうていよく普通の人民と調和して社会生活を営んでゆくことのできるわけはありません。そうして「国家」をしてかくのごときものたらしめるものはただ一つこれを代表する「役人」あるのみであることを考えると、役人もまた決して形式的な「公平無私」の化身になっていさえすればいいというような簡単なものではない。彼らは「国家」をして普通の人間のごとく、道徳的なかつ親しみやすいつきあいいいものたらしめねばならぬ、きわめて困難な地位にあるのです。
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