公家領

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  • 交分は公家領や寺社領に広く見られるものの、武家領ではあまり見られない特徴がある。
  • この他に朝廷に奉仕する公家にも公家領が与えられ、それが約10万石あったとされている。
  • 神保氏も同時期に越中国内の寺社領・公家領、諸大名・幕府直臣領の押領を進めた。
  • 公家領は当初は次男以下への家領の分割による新しい家の分立や女系による継承の例も見られたが、鎌倉時代後期になると公家領の拡大が鈍化して分割のみが進行するようになった。
  • また、支配下に京都とその周辺の行政のために京都郡代が置かれたが、後に町中を担当する京都町奉行と周辺部やそこにある皇室領・公家領を管理する京都代官に分離するようになった。
  • 中世公家領には自己邸宅の宅地や御願寺・氏寺の敷地及び所領も含まれるが、収入を得るのは自家の荘園が主であった。
  • そのため、個々の公家領が相伝か恩領かを巡って本家と領家の間で対立する場合もあった。
  • 久我家を中心に、中世公家領荘園を研究テーマとする。
  • このような状況のもと室町時代になると、公家領、武家領という概念が定着し諸法令上も一円知行を前提とした規定が見られるようになった。
  • ただし、この規定は鎌倉幕府が管轄する武家領における訴訟では有効であったが、寺社領や公家領に関する訴訟では直ちに適用されなかった。
  • 一つの土地が荘園、寺社領、公家領、地頭領と四つの名義になっているところが出た。 新田次郎『新田義貞(下)』より引用
  • 京都代官は、江戸時代に京都に設置された役職で、京都所司代の支配下に置かれて京都周辺の天領・皇室領・公家領の支配を行うなど畿内における江戸幕府・朝廷の財政を主として管轄した。
  • 京都周辺の公家領からの収入は室町殿の家領安堵によって座や商工業者への課役や関所・率分所などからの収入とともに室町時代においても辛うじて維持されてきたが、応仁の乱以後は現地の武士達に対する押領によってほとんどの公家領は「不知行」となり、経済・治安の混乱は関銭収入の維持も困難とした。
  • この大乱を機に、備中でも寺社領や公家領の荘園に対する土着武士の争奪戦が激化していた。
  • 寺社本所領とは、武家領に対して公家領・寺社領にあたる荘園・所領のことである。
  • これについては、公家領や寺社領に関する訴訟を扱ってきた公家社会が年紀法自体に否定的な姿勢を示していたとする考え方もあるものの、御成敗式目第8条自体が単に武家社会における年紀法に関する考え方を示したに過ぎず、当時の公家社会において年紀法が採用されていたかどうかとは別次元の問題である。
  • 代表的なものは公家領の分割を制限して家督・家記・邸宅などからなる「家門」と所領である「家領」を一括安堵して嫡男に継承させる方針を打ち出したことである。
  • だが、承久の乱で鎌倉幕府が勝利すると、幕府が日本全国の警察力・軍事力を掌握して、朝廷が持っていた検断権は形骸化して、公家領や寺社領に対する訴訟の権限は有していたものの、警察・軍事に関しては幕府の行動に大義名分を与える役割に限定されるようになる。
  • 方領とは公家領の一種で、堂上家の未家督者が、朝廷の官職に就いている際に当主に与えられる家領とは別個に特別に与えられる所領のこと。
  • 室町幕府は寺社領及び公家領を「寺社本所領」と呼び、特に地頭やその他預所が置かれていない本所の一円支配領を本所一円支配地と呼んだの幕府法令とされている。
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