公家達

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  • このような軽妙な意匠をした建物を公家達が好んで建てた。
  • また、豊かな教養人でもあり、将軍義輝や公家達からの信望も厚かったという。
  • 鴨長明の『方丈記』では治承4年、遷都の際の公家達の服装が記されている。
  • 即ちこの廃藩と共に、知事は従来の公家達と同じく華族となって東京へ移住せらるるからである。 内藤鳴雪『鳴雪自叙伝』より引用
  • これに対して政務に関与できない他家、特に若い公家達の間で不満が高まりつつあった。
  • 諸大名、公家くげ達、有福な町人らも、道筋に桟敷をかけて見物に出た。 海音寺潮五郎『新太閤記(四)』より引用
  • 彼らは冨子の実家である日野家と対立関係にあった三条家の一族や縁者が多く、義視を支持していた公家達であった。
  • 貞盛は、殺された人々の身分が明らかになると同時に、小次郎にたいする公家達の評判が一変し、その取った処置が適当であったかどうかと論議しはじめたことを伝えた。 海音寺潮五郎『平将門 上巻』より引用
  • この状況を見た義経は後白河法皇に平氏追討を願い許可を得ると都の公家達の反対を押し切って屋島へ出撃した。
  • 形式上の総大将である尊良親王の周辺には側近の公家達がおり、彼らは「口煩いだけ」の存在であった。
  • 当時、天皇や公家達はすでに貧窮していた。
  • 平安京の西方の郊外になることから別名、西郊と公家達はよんだ。
  • 公家の文化にもこういった恥の概念、人の目を意識する価値観はあったのだろうが、公武権力の一体化が推進され、自分より高位の公家達がいる世界へ入って行く、室町時代の武士のほうが、人の目に対する緊張感が強かったのかもしれない。
  • そして、何よりも致命的であったのは、京都で発生した応仁の乱とその後も引き続いて発生した火災・盗難・一揆などによる被害が京都中心部のみならず、公家達が蔵書・文書を退避させた郊外などにも被害が及ぶようになり、多くの蔵書・文書が失われていったことである。
  • また、公家達の多くも家督を巡って南北に分裂しており、南朝方についた同族の復帰につながりかねない南朝の正統性を認めることには否定的であった。
  • 其の他の事は其の學科の種類に依つて、皆公家達の家々に權限を任せて居ります。 内藤湖南『日本国民の文化的素質』より引用
  • さうしてそれは單に自然に社會状態からしてさういふ風になつて來たといふばかりでなく、やはり其時代の有力なる君主、有力なる公家達が居られたために、其機運を促進したのであらうと思ひます。 内藤湖南『日本文化の独立』より引用
  • 武士勢力の不満が大きかっただけでなく、公家達の多くは政権に冷ややかな態度をとり、また有名な二条河原の落書にみられるようにその無能を批判され、権威を全く失墜した。
  • 言継はその気さくな人柄で庶民とともに入浴する事もあり、また優れた医療知識をもって天皇や公家達のみならず、京の庶民に対しても治療を行って、しかも無理に治療費を取る事がなかったため、言継は庶民からも人気がある公家となった。
  • この提案は、天皇側近の公家達には訝しがられ、また鼻で笑われただけであり、にべもなく却下されてしまった。
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