公家衆

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  • 今の世の公家衆くげしゆうがそうだと思い、阿呆あほう公家衆くげしゆうと思わずにおられない。 海音寺潮五郎『天と地と(四)』より引用
  • 下々の公家衆は一律に現在の十倍、上の衆はそれぞれに吟味の上定める。 海音寺潮五郎『新太閤記(四)』より引用
  • 明への行幸は明後年と定め、その儀式について公家衆の記録を調べさせている。 隆慶一郎『一夢庵風流記』より引用
  • 元治元年禁門の変に京に出動するが、混乱の中で公家衆の警護の依頼がなく帰国した。
  • だから内裏・公家衆・高僧たちを初め、観衆は二十万に達した。 和辻哲郎『鎖国日本の悲劇 (後編)』より引用
  • また4月4日から3日間、二条城で能楽が行われ諸大名や公家衆を饗応した。
  • そこで駿府の家康と京の勝重は、綿密に連絡を重ねながら公家衆への処分案を練っていった。
  • 文久元年には和宮に従って江戸入りした公家衆の接待役を勤める。
  • 京では紹巴を介して公家衆や堺の商人たちと交流した。
  • お百姓や車夫たちが用いている普通のものでありますが、仕事が大変丁寧な上に、特に形のひんがよく、さながら公家衆くげしゅうが用いたものではないかとさえ見間違えるほどであります。 柳宗悦『手仕事の日本』より引用
  • 文禄3年正月には新公家衆の一人として参内した。
  • その中には非常な富豪もあって、徳川時代に知名の学者に依頼したり、或いは京の公家衆に因縁を求めたりして、都合のよい説を宣伝した。 喜田貞吉『賤民概説』より引用
  • この場を一刻も早く立ち去るしか対処の仕様がなかったが、あわてて帰り仕度を始めた公家衆が退席した後でなければ動くことさえ出来なかった。 安部龍太郎『戦国秘譚 神々に告ぐ(上)』より引用
  • 幕府は、朝廷には政権を運営する能力も体制もなく、一旦形式的に政権を返上しても、依然として公家衆や諸藩を圧倒する勢力を有する徳川家が天皇の下の新政府に参画すれば実質的に政権を握り続けられると考えていたといわれる。
  • また隠居料を扶持されるようになって以降、徐々に京都公家衆との能や茶の湯などの文化活動サロンの長老的存在となった。
  • 公家衆くげしゆうさえ天皇をおき去りにして都落みやこおちしているのだから、芸道・技芸をもって立っている人々はなおさらのことだ。 海音寺潮五郎『天と地と(四)』より引用
  • 公家衆の行跡も監督し、火事が発生すれば発生場所が御所からどれだけ離れていても与力とともに禁門の警備を行った。
  • 六月一日、信長は近衛前久等、公家くげ衆を招いて、自慢の茶器を眺めさせる。 阿刀田高『幻の舟』より引用
  • これが一時代前なら、公家衆くげしゆうがたつきの道のないままに、地方の大名をたよって都落みやこおちすることもめずらしいことではなかった。 海音寺潮五郎『天と地と(五)』より引用
  • 前嗣は檳榔毛びろうげの御所車に乗り、前後を正装した公家くげ衆三十人、供侍二百人ばかりが歩いている。 安部龍太郎『戦国秘譚 神々に告ぐ(上)』より引用
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公家衆 の使われ方