公家政権

39 の用例 (0.00 秒)
  • 公家政権の監視にあたる出先機関として六波羅探題が新たに京都に設置された。
  • 東国を支配する幕府を武家政権とするのに対し、中央の朝廷を公家政権ともいう。
  • 武家政権に対する公家政権という用法は近世もしくは近代の所産といえる。
  • 公家様文書は中世以後も公家政権・社会で用いられたほか、下文・御教書は武家政権・社会でも用いられて武家様文書の元となった。
  • 公家政権にあっては伝奏の制度があった。
  • しかし、公家政権との過度の融和は御家人たちの利益と対立し、不満が募っていた。
  • この勝利により、京方についた旧将軍独裁時代の勢力は一掃され、執権義時の幕府内での最高権力者たる地位が確定したのみならず、義時の主導する鎌倉政権が公家政権に対して支配的地位を持って朝幕関係を完全に逆転させる事に成功したのである。
  • 更に宗盛の能力についても武勇はともかく、兵乱の時代を終えて王権と結合し政治的に安定した平家政権において求められた公家政権における実務能力の高い人物として再評価する考えもある。
  • 院政は承久の乱以降も継続し、公家政権の中枢として機能した。
  • こうした状況下で奏状が後鳥羽上皇を治天の君として擁する公家政権にむけて提出されたことは、衰亡してゆく伝統仏教界による最後の抵抗でなかったのかと田村はとらえたのである。
  • 武家政権である鎌倉幕府の成立後、京都の公家政権との二頭政治が続いていたが、この乱の結果、幕府が優勢となり、朝廷の権力は制限され、幕府が皇位継承などに影響力を持つようになる。
  • 室町時代の公家政権の権限は、山城国に置かれた幕府および各国の守護によって大きく侵されていき、次第に有名無実化していった。
  • ただし、中世の土地法制においては複数の領主が存在しうる複雑な構造である上、公家政権と武家政権の併存などもあり、進止が誰に帰属するのか、また実際に行使できるのかという点に関しては上記の定義にも関わらず常に問題を有していた。
  • それに加えて、一般の公家が特定の技能を家業として継承していくことで公家社会における独自の存在価値を確立していくことや、公家政権運営に必要な物資調達を担当する経済官司が持つ所領や課税権限などの経済的な権益をその官司と関係性の強い特定の家が掌握して家産化していく現象なども含めて考える場合もある。
  • 武家執奏とは、武家政権である室町幕府と公家政権である北朝の公武関係に関連する用語で次の2つの意味がある。
  • また、弘安礼節を公家社会における家産化された内部秩序を国家的統制の下に一本化・整備したものであることから、公家政権における政治改革の一環と考えられ、当時の鎌倉幕府において安達泰盛らが推進した弘安徳政と呼ばれる政治改革に対応したものとみられている。
  • また、京都に基盤を置く室町幕府の開始とともに、公家政権の機能も幕府へと移っていく、足利義満執政期に公家政権は政権としての機能をほぼ失った。
  • ただし、その権限は自らの政治力に依存するところが大きく、中世に入り公家政権の政治力が低下し、領家職に武家が進出するようになると、直務支配が貫徹された一部を除いては次第に「不知行」化していく。
  • その原因の1つとしては公家政権の政治機能及び宮中儀礼が衰微・形骸化したことにより、武家政権の時代に入っても公家政権の内部において続けられてきた時代に応じた公事・儀式の変遷や諸家間における有職故実を巡る意見対立が生じる余地が失われたことにある。
  • 当時の公家政権に大きな影響力を有した前摂政一条兼良や准后満済、将軍足利義教らがこれに同意したために諒闇が実施されることとなった。
  • 次へ »