公家出身

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  • また、皇族と結婚するのも多くは大名・公家出身の華族であった。
  • このため公家出身の嵯峨公勝・南加の男子・嵯峨次郎を養子として辛うじて存続された。
  • 一方、ライバルのおすめと御台所の提携も、公家出身の共通点による。 稲垣史生『考証[大奥]』より引用
  • 公家出身だけに和歌・管絃の道にすぐれ、やはり学問への造詣も深かった。 稲垣史生『考証[大奥]』より引用
  • 西園寺は藩閥出身総理の多い中では、公家出身でリベラルな政治家と見られていた。 豊田穣『革命家・北一輝』より引用
  • またこの間には、リューリク朝の他系統の公家出身者、さらにはハンガリー王家出身の公も登場した。
  • しかし明治初期の華族達は、具体的に何をする者達なのか明確にされなかったこともあって、後と比べると独立性が強く、特に大名出身者と公家出身者でたびたび衝突をおこすような有様だった。
  • これはこの芝居の初演される十年前に、品川で京都の公家出身と詐称する遊女がいた事件を取り入れたもの。
  • ヨハンは詩や音楽を好み、特に母親がイタリアのパルマ公家出身ということもあってイタリア文学に傾倒した。
  • 冬姫は仙台藩主の正室で最初の公家出身であり、冬姫の代に整えられた風儀がその後の仙台藩の奥方における手本とされるようになるが、この奥方における改革は表方における夫・吉村の改革に対応したものと見られている。
  • 大正政変後、公家出身の西園寺は大正天皇から望まれていた第3次桂内閣への協力を拒否した政治的責任を取って辞表を提出した。
  • ただし、頼朝は六条堀川に河内源氏代々の館を持ち、時政以後の京都守護は公家出身者や京都在住が長い武士が多かったために自己の屋敷を庁舎としており、専ら北条氏のように京都に拠点の無い東国武士が拠点にする場合が多かったとされている。
  • そのため、有職故実に長けた京の公家出身の女中がこの役職に就くことが多く、彼女たちのほとんどは御台所や御簾中の輿入れに伴って奥入りしたと考えられている。
  • 母は大内義興の娘とされるが、周防大内氏の家督を継いだ大内義長と異母兄弟にあたるともいわれ、異説として公家出身の娘か家臣の娘が母とする説がある。
  • この中で、上臈じょうろうは平素御台所のお側に勤め、公家出身者が多いだけに典礼・学芸のお相手になった。 稲垣史生『考証[大奥]』より引用
  • 他の兄弟達と同じくコンラトの洗礼名を名乗ったが、これはシロンスク・ピャスト家のうちオレシニツァ公家出身であることを示すための慣例だった。
  • ゾフィーの父親はナッサウ公家出身であったにもかかわらず、ロシア宮廷では大きな醜聞を巻き起こした。
  • フセスラフ・ヴァシリコヴィチはヴィテプスク公家出身のポロツク公である。
  • なお、この時、もう一人の公家出身の元締め的な存在であった三条実美は内大臣という役職に棚上げされることになる。
  • 公家出身であるため政治的権力は持っていないとされているが、5代綱吉付・右衛門佐、10代家治付・高岳、12代家慶付・姉小路は大きな影響力を持っていた上臈御年寄として知られている。
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