公家の日記

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  • これは、当時の公家の日記にも書いてあることだから、事実と認められなくはない。 桑田忠親『明智光秀』より引用
  • これは同時期の公家の日記に共通する特徴である。
  • 公家の日記などは、まさにこうした期待の上に執筆された公的記録の性格が強いものだったのである。
  • これは公家の日記の中でも特色とされ、室町中期の社会経済史研究に有益な情報を提供する。
  • 当時の公家の日記でも、訴えられた31条のうち、不法とされたのは1か条だけといわれる。
  • 当時の公家の日記には、些細なことで罰せられ所領を没収された多くの者達の名が書き連ねられている。
  • 政治的な重要事件に関する記述は役目の地位の問題から多くはないが、その代わり江戸時代の宮中儀式のあり方や日常の宮廷の状況、地下官人制度についての記録は詳細であり、堂上公家の日記・記録類では多くを見ることが出来ない事務方の動向について知ることが可能である。
  • 京都伊勢氏は当時将軍以上の権勢をもっていた家柄だからその息子だとか、弟というなら、その頃の公家くげの日記録などにも出ているはずだが、少しもそれらしいものは見当たらない。 菊池寛『日本武将譚』より引用
  • また当時の公家の日記は、宮中行事を遂行するための所作などを後世に伝える目的も帯びていた。
  • 是が中世以前の京都上流の間にも行われた婚姻方式であったことは、『源氏物語』その他の文学に明らかに現われているだけでなく、歴世の公家くげの日記にもよく見えている。 柳田国男『木綿以前の事』より引用
  • 公家の日記である『玉葉』がどんな経緯で他人の目に触れるようになったかは定かでないが、鎌倉時代初期から多くの人に読まれてきたものと推測されており、『吾妻鏡』の編纂にも影響を与えている可能性がある。
  • 公家の日記は後世の範とするために残されたものだけに、有為の公家たちは暗記するほど読み込んでいたのだった。 安部龍太郎『戦国秘譚 神々に告ぐ(上)』より引用
  • しかし、当時の公家の日記などには義満の行為が皇位簒奪計画の一環であるとしたり、その死を暗殺と疑った記録はなく、直接の証拠はない。
  • 大文字のはじまりは弘法大師から、という言いつたえもあるが、記録としては一七世紀はじめの公家の日記にみえているのが古く、室町以前にはひとつも記録がない。 加藤秀俊『一年諸事雑記帳(下) 7月~12月』より引用
  • ただし「公卿補任」や公家の日記などには六角氏が参議以上に任官したという記録はない。
  • 「日記の家」勧修寺流の他の公家の日記と同様、朝廷の儀式・典礼などに関する記事が詳しい。
  • 当時の公家の日記『中右記』は「最下品の者が、第一国に任じられたのは院に近侍しているからだろう」との世評を載せている。
  • 今日伝わる公家の日記の書名の多くは没後に付けられたものであり、執筆者自身は「私記」や「暦記」などと呼ぶ例が多かった。
  • これは、南北朝時代の公家の日記である『師守記』には武衛が坊門三条殿の等持院で父足利貞氏追善の法華八講を主催したことが記されていることによる。
  • 一部には明らかに編纂時の曲筆と見られる部分もあり、特に前半の源氏三代記については『愚管抄』や『玉葉』など同時代の公家の日記との比較を要する。
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