公子雍

7 の用例 (0.00 秒)
  • このとき、公子雍を迎えにいっていた先蔑と士会は秦へ亡命した。
  • 何も知らずに晋へとやってきた公子雍を趙盾は令狐にて攻撃し、士会はこれに怒って秦へと亡命した。
  • このため、公子雍を迎えるための使者であった晋の先蔑と士会は怒って秦に亡命した。
  • 紀元前620年、晋の襄公が死去すると後継者争いが起こり、当時秦にいた公子雍が新たな晋公に即位すると決まったところを、宰相の趙盾が約束を破って夷皋を立てた。
  • 狐射姑は亡命したが、このことで反対派の動向を恐れるようになった趙盾は考えを変え、夷皋を晋公に立てることにして、秦軍に護衛されてきた公子雍を軍を出して追い払ってしまった。
  • 狐射姑は亡命したが、反対派の動向を恐れるようになった趙盾は考えを変え、夷皋の母の穆嬴が晋の大夫たちを説得して回ったこともあって、夷皋を晋公に立てることにし、軍を出して公子雍を追い払ってしまった。
  • 同年、襄公が没したが、太子の夷皋はまだ幼かったので、群臣は襄公の弟を立てるべきだと話し合い、趙盾の意見で、秦に仕えていた公子雍を呼び戻すことになった。