公子重耳

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  • 文公16年、晋の公子重耳が衛を通過したが、文公はこれを礼遇しなかった。
  • 文公36年、晋の公子重耳が鄭を訪れたが、文公は礼遇しなかった。
  • 紀元前637年、晋の公子重耳が亡命の旅の途中に曹を訪れた。
  • 父の文公は晋の公子重耳が内乱を避けて流浪してきたとき、これを侮蔑して粗略に扱った。
  • 懐公が勝手に逃げ出した事に怒った秦の穆公は、当時楚の成王の元にいた晋の公子重耳を迎えて晋に入れようとした。
  • 狄の出身であったが、父・狐突によって弟とともに晋の公子重耳に仕えさせられ、以後、狐氏の兄弟は重耳の忠実な側近となった。
  • 紀元前640年、晋の公子重耳が楚に亡命して来た。
  • 日本の宮城谷昌光が書いた小説『介子推』では介子推は棒術の達人であり、亡命中の公子重耳に向けて恵公から送られた刺客である閹楚と幾度も戦い重耳を守り通したとされている。
  • その後、楚に放浪中の晋の公子重耳がやってくると、その大器を一目で見抜き、自分と対等の諸侯の礼を持ってもてなすよう家臣に命じて饗応した。
  • しかし、晩年は愛妾・驪姫の讒言を信じ、太子を殺し、公子重耳、公子夷吾などを遠ざけたために、晋は大きく混乱した。

公子重耳 の使われ方