公子軍

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  • このオーストリア軍は、西からではなく東からやって来た、カール公子軍の前衛であった。
  • カール公子軍は大王の認識よりも早く西進しており、モルヴィッツの戦いのときとは違って十分に編成された軍を率いるカール公子は戦力に自信を持っていた。
  • カール公子軍もケーニギンホーフでエルベ川を渡河し、プロイセン軍を追った。
  • このころ大王軍は、カール公子軍との距離にまだ余裕があると見ていたので、クッテンベルクを占領したあとコリンに兵を送ってエルベ川からの補給路を開設するなどしていたところで、深夜にビューロウが到着して若デッサウの危機を報告したことでようやく大王は実際の状況を認識した。
  • 敵の行動を全く把握していなかったカール公子軍はプロイセン軍の攻撃に対応できず、ザクセン軍を援護することもゲルリッツを救うこともできなかった。
  • 一方、カール公子軍はメーレンを回復したが、現地での食糧調達が不可能になっていると知ってそれ以降のプロイセン軍の追撃はすぐにあきらめた。
  • 大王の作戦は、カール公子軍がラウジッツへの進出を終えて十分自国に接近したところで一気に強襲をかけるというもので、諸部隊には北のクロッセンに移動する準備をさせるなど 、ホーエンフリートベルクの戦いのときと同じように作戦意図の欺瞞に抜かりなかった。
  • 一方のカール公子軍では、突如出現した若デッサウ軍の兵力が不明で、地形的にもローノウから北に向けては攻撃が困難と判断し、攻撃を見送った。
  • カール公子軍はこれを追撃した。
  • 戦いのあった15日にはすでにカール公子軍の先鋒がドレスデン郊外に到着しつつあり、ルトフスキーが会戦に及ぶ前にカール公子に強行軍を要請するか、あるいはルトフスキーがドレスデンの南に陣を下げていれば、また違った結果になったかもしれないとされる。
  • プロイセン軍の斥候はヴィリモウを偵察はしたが、そこから北に行軍するカール公子軍を発見し損ねていた。
  • カール公子軍はサザワ川を越えて西に進軍し、先鋒部隊はエルベ川周辺に出没してプロイセン軍の連絡線を脅かした。
  • 近日中の夫の皇帝即位が予定される中、女王はカール公子軍に兵士の補充を行わせるとともに、ロプコヴィッツとダレンベルクの両将軍を送って補佐役とし、カール公子に断固としてプロイセン軍への攻撃を命じた。
  • 敗走したルトフスキー軍はドレスデンの南ですぐカール公子軍と合流することになるが、両者はともにドレスデン防衛を諦めてピルナまで後退した。
  • しかしこの間、ガベルからリトメリッツでエルベ川に出たカール公子軍がザクセンに急行しつつあり、はやくルトフスキー軍を撃破しなければカール公子軍と合流されてしまう可能性があった。
  • ナイセとエルベの間をつないでいたグリュネ軍は、カール公子軍の敗北とレーヴァルト軍の接近を知って西に撤退し、ルトフスキー軍と合流した。
  • この二つの攻撃を応援するためにオーストリア軍は、ライン方面からグリュネの部隊をザクセンに転進させてルトフスキー軍とカール公子軍の東西の間隔を埋め、ハンガリー勢の一部に下シュレージエンへの侵入を試みさせることでプロイセンの注意をそちらに惹きつける。
  • 大王の作戦は、まず、自国がオーストリア軍の行動には気が付いていないように見せかけることによって、ラウジッツに向けて行軍中のカール公子軍を国境近くまで引きつけ、そこで大王率いる主力部隊が強襲をかける。
  • 補給部隊を切り離して行軍を始めていた若デッサウは、新しい命令を受け取りつつ大王軍の後を追ってポードホーツァンに達し、そこを占拠していた敵の軽歩兵を砲で追い払ったが、直後すぐ近くのローノウにカール公子軍本隊がいるのを発見した。
  • オーストリアはカール公子を新たな軍の指揮官に据え、ケーニヒスエッグに後見させて反撃を試み、カール公子軍はブリュンへ進撃した。
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公子軍 の使われ方