八王子神社
46 の例文
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いずれにせよ、朝鮮からのそれであることにまちがいはない。私は一九六九年の秋、八王子神社のある八王子城跡に登ってみたことがあった。ふつうは城山とよばれている、標高四百メートルそこそこの尖り立った山だったが、頂上にある神社あたりからの眺めは、ただ、すばらしいというよりほかないものだった。
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常世岐姫神社はいまは八王子神社と名を変えているが、それのあるところは神宮寺というところで、「この付近一帯は六〜七世紀ころ、朝鮮半島より渡来・帰化した染色技術集団の人々が、河内の赤染部として居住していたところである」と「古田文書」にある。また、そこにある八王子神社は、『八尾の史跡』をみるとこうなっている。神宮寺の南端にある。
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戦後の学制改革に伴い1948年、名古屋市立杉村小学校に併設される形で名古屋市立八王子中学校として開校した。八王子の校名の由来は、現在も学区内に鎮座する八王子神社の名に由来するという。同年12月には名古屋市立東白壁小学校校地に移転し、加えて1949年には旧練兵場に残されていた兵舎を清水分教場の名称で利用を開始するなど、現校地に落ち着くまで時間がかかっている。
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現在は堀切氷川神社の境内社となっている八王子神社の別当寺として創建されたものである。その後、国府台合戦の戦火で廃寺化したが、慶長年間に法印源栄が中興した。
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その因縁で916年深沢山に八王子権現を祀ったと言われている。仏教の守護神である牛頭天王には頗梨采女との間に8人の子がいるとされており、これを祀ったのが八王子神社である。八王子は八方位の暦神に比定され、八将神ともいう。
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本丸跡と小宮曲輪跡へは、八王子神社裏手の坂道を更に登る。丸跡も小宮曲輪跡も八王子神社から約5分で到達する。御主殿から山王台を経て本丸付近まで直登する「殿の道」は短時間で本丸付近に到達できる。
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常世岐姫神社の正式名称は明治時代以降のものであり、それまでは「八王子神社」と称していた。現在も正式名称よりも旧名称のほうが知られており、地図や看板・社頭の石標・八尾市教育委員会の説明標にも八王子神社と記されている。常世岐姫命を祀る。
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深沢山には「八王子権現」が祀られている八王子神社があり、これが市名の由来となった。
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新道ルートは金子丸跡まで約10分、そこから八王子神社まで約30分かかるルートである。新道の北斜面には旧道ルートが並行してあるが、道が狭い上、雨水による侵食が酷い。
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大阪府八尾市神宮寺にある常世岐姫神社は、『延喜式神名帳』に記される河内国大県郡神宮寺村の式内社である。常世岐姫神社の正式名称は明治時代以降のものであり、それまでは「八王子神社」と称していた。現在も正式名称よりも旧名称のほうが知られており、地図や看板・社頭の石標・八尾市教育委員会の説明標にも八王子神社と記されている。
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「頂上」と書かれた小さな石碑の先にある階段を上ると八王子神社があり、左手に進むと二つの大きな慰霊碑のある展望スペースと休憩所がある。本丸跡と小宮曲輪跡へは、八王子神社裏手の坂道を更に登る。
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かもめ町・豊浦町の境付近で、国道357号と南本牧ふ頭方面へ接続する道が立体交差で分合流する。昭和30年代までのこの付近の海岸線は国道357号のさらに内陸側で、本牧海岸、地域の鎮守の八王子神社から八王子海岸とも呼ばれていた。
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もちろん、この素戔嗚尊なるものに「五男三女、つまり八人の王子と王女」があったかどうかは知らない。しかしながら、それを祭る八王子神社がここにあるということは、素戔嗚尊なるものを代表として押し立て、それを祖神とする朝鮮からの渡来人が、早くからここに住みつきはじめたことをものがたるものでなくてはならない。もしそうだとすれば、これはさきに『東京の史蹟と文化財』によってみた古墳時代のそれとはまた別のもので、これはそれよりずっと以前に渡来していたものたちであったにちがいない。
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社伝によれば古和釜地域周辺の鎮守として平安初期の807年に創建されたと言い伝えられている古社である。また、総本社は摂津国東成郡の八王子神社と考えられている。
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今村城は尾張国春日井郡に存在した日本の城。正方形の郭をしており、現在は「お鶴の井戸」と呼ばれている井戸と水堀の一部が池として現存し、本丸は八王子神社となっている。寛正年間、三河国今村城主松原吉之丞が現在の愛知県瀬戸市に移るために築城した。
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ここにあった八王子城は、一五七三年からの天正年間のはじめ、北条氏照が近くにあった滝山城を移して築いた中世の山城といわれるものの一つである。しかし、ここに素戔嗚尊の「八王子」なるものを祭る八王子神社があることなどからして、ここはもしかすると、それ以前すでに古代朝鮮式山城のあったところかとも思われるが、それははっきりしない。大谷古墳のこと 街路が入り組んでいるため道をまちがえたりしたので、すぐそこだと思っていた市役所までは、ちょっとした道のりだった。
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計画当初、この駅の設置は予定されていなかったが、1925年12月15日の「鉄道工事設計変更認可申請書」によって追加され、1926年の谷汲鉄道開業と同時に設置された。駅名の由来となった八王子神社をはじめ、来振寺、来振神社といった付近の寺社参詣客の利用を見込んでいたが、実際に当駅を利用する参詣者は少なく、駅は谷汲鉄道が名古屋鉄道に合併した頃と同時期に休止され、そのまま復活することなく1969年に廃止された。
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