八八五〇
17 の例文
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ここから、台枠上の火室が構想され、重心の高さに対する安全度が計算され、なお、重心が高くなる分の懸念に対しては、主連棒を短くしておさえとした。そのことから八八五〇形は固定軸距を短くすることも考えられた。八八〇〇形の固定軸距が四一九一ミリに対し、八八五〇形は三六五八ミリである。
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日本での試運転では客車二六〇トンを牽いて最高一〇二キロ時を記録した。このシリーズのなかで、もっとも意欲的な設計となったのは八八五〇形であった。この設計変更はしかし、仕様書の条件を守り、そのうえで新機軸を盛り込んだものであった。
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この証明を島安次郎は知り、のち、その許容範囲について独自の見通しをもって機関車を構想することになる。八八五〇形は、島の重心扛上の構想に重要な理論的根拠を与えるものとなった。さらに大きな特長は主動輪をシリンダーに一番近い第一動輪としたことである。
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仕様書での缶中心線は地上から二二八六ミリである。これに対して八八五〇形は二四三八ミリまでにあがった。重心が高い機関車に対する懸念は多分に経験則的であったが、製作したボルジッヒ社は機関車重心については入念な実験をくり返して、計算値、実験値ともに安全であるという確信を得ていたのであった。
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そのことから八八五〇形は固定軸距を短くすることも考えられた。八八〇〇形の固定軸距が四一九一ミリに対し、八八五〇形は三六五八ミリである。第一動輪に主連棒を結節して、第二、第三動輪の間をつめるだけつめたのである。
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が、この点もいまのところそれを示す記録はない。八八五〇形の新機軸は設計変更においてよく仕様書の規準を守ったものであった。その条件のもとでぎりぎりのところまで性能を引きだすこと、これが技術者に求められる力量だった。
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明治四十四年七月十七日に関税が改正されるので、それまでに日本領海内に運び入れる必要があった。八八〇〇形は工期二ヵ月半、八八五〇形は二ヵ月で竣工した。そして皮肉なことに、ベルリンの空の下で島や、朝倉が、睡眠時間を削って関税改正に間にあわせたその期日は、第二次桂内閣が、政友会との密約で総辞職する花道の期日だった。
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イギリスのノース・ブリティッシュ社の製作した飽和蒸気式機関車は八七〇〇形、ドイツのベルリーナ社製は八八〇〇形、同じくボルジッヒ社製は八八五〇形、アメリカン・ロコモチーブ社製は八九〇〇形とした。このうち、八八〇〇形と八八五〇形はドイツ滞在中の島安次郎が工場につきっきりで監督したものである。朝倉希一もよくこの任務に耐えた。
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さきにふれたようにドイツ・ボルジッヒ社製の八八五〇形が、この方式をとっている。八八五〇形はそのために缶中心線が高かったが、屈曲の多い日本の線路を走行する性能は申し分なかった。島は缶中心線をあげた場合の安全性を確信していた。
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こうして、狭軌鉄道ではこの当時世界で一番高い缶中心線を持つ九六〇〇形機関車が誕生する。動輪直径を一二五〇ミリにしたため、缶中心線が二五九四ミリではあったが、重心の高さは八八五〇形と同じ一五二四ミリにおさえることができた。性能はみごとなものだった。
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統一仕様書にもとづいて発注された新鋭輸入機関車群は、それぞれ次のように命名されることになった。イギリスのノース・ブリティッシュ社の製作した飽和蒸気式機関車は八七〇〇形、ドイツのベルリーナ社製は八八〇〇形、同じくボルジッヒ社製は八八五〇形、アメリカン・ロコモチーブ社製は八九〇〇形とした。このうち、八八〇〇形と八八五〇形はドイツ滞在中の島安次郎が工場につきっきりで監督したものである。
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これはロスを意味している。八八五〇形が、第一動輪を主動輪として、主連棒を短くしたという場合は、ピストンの力が分裂するロスには目をつぶり、主連棒が引き起こす振動や、重心移動のマイナス面を小さくしようという考えが表明されているわけだった。機関車は首を振って走る。
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これが、よくレールの曲線に追随する走行性能を生んだ。筆者は、この八八五〇形完成後の諸元のなかに、島安次郎のアイデアが密んでいるように思えて仕方がない。が、この点もいまのところそれを示す記録はない。
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その動きによって、機関車は首を振ってしか走れない。この八八五〇形の意欲的な設計では、缶の中心を扛上したことで重心が高くなったことから、動揺を小さくおさえようと主連棒を短くし、第一動輪へ結びつけたという考えが読みとれる。八八五〇形はあくまでもボルジッヒ社による設計であるが、圧延鋼板の切り抜きによる主台枠の成形はボルジッヒ社でも新しい試みだった。
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そして皮肉なことに、ベルリンの空の下で島や、朝倉が、睡眠時間を削って関税改正に間にあわせたその期日は、第二次桂内閣が、政友会との密約で総辞職する花道の期日だった。「広軌改築」を前提にし、脳漿をしぼりきるように構想した島の思考は、そうして生まれた八八〇〇形、八八五〇形の誕生日の日付のあたりで、その根拠の大きな領域が失われていたのである。
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この八八五〇形の意欲的な設計では、缶の中心を扛上したことで重心が高くなったことから、動揺を小さくおさえようと主連棒を短くし、第一動輪へ結びつけたという考えが読みとれる。八八五〇形はあくまでもボルジッヒ社による設計であるが、圧延鋼板の切り抜きによる主台枠の成形はボルジッヒ社でも新しい試みだった。ここから、台枠上の火室が構想され、重心の高さに対する安全度が計算され、なお、重心が高くなる分の懸念に対しては、主連棒を短くしておさえとした。
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