党派
全て
名詞
2,836 の用例
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だが、竜土会はすべての党派を抱擁していた。
誰が主将というのでもなかったが、どの党派からも喜んで人が出て来た。
長谷川天渓氏が来た。
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小山内薫『芝、麻布』より引用
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彼が学生運動から完全に足を洗ったと思っていた頃、党派がやってきた。
党派組織から抜けることは許さない、ということだった。
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浅野誠『ビジネスマンの精神病棟』より引用
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口実を得ようと欲する時に左党は革命を説く。
攻撃せられないためには民主派となり、戦わないためには王党派となる。
共和党らは鳥の羽を持った獣である。
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ユゴー・ヴィクトル『レ・ミゼラブル』より引用
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ディックスビルノッチとハーツ・ロケーションが、大統領予備選挙と本選挙でニューハンプシャー州でもアメリカ合衆国でも最初に投票される場所となっている。
その他党派選挙で選ばれる役人候補の指名は別の予備選挙で行われる。
大統領選挙のサイクルの中で、州内で行われる2つめの予備選挙である。
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会期末まで2日に迫った段階で、法案成立を確実な物にするため、成立に必要な委員会を与党で占めるために解任決議を可決させたものである。
また、解任によって委員長の党派が変わったのはこの時が史上初である。
政局で議院多数派委員長が議院多数派執行部と対立した場合があっても、党内融和のため委員長が自発的に辞任したり、議院多数派執行部が党議拘束をしてまで解任決議を行うことがないため、議院多数派執行部によって解任決議が提出されて採決されたことはない。
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いくつかの2面分析の政治モデルのうちポリティカル・コンパスでは、ファシズムは経済面の軸では資本主義と社会主義の中間とみなされ、政治面の軸では極端な権威主義に位置している。
イタリアのファシズムには、右や左の両方を含む複数の党派が存在した。
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おそらくこれはアメリカの日本占領政策が直接統治でなく、間接統治であったため、アメリカ政府ないしはGHQが日本人の行政熟練者である官僚を多数に利用したことにはじまると思います。
そのために真の党派的な政治家が日本に居なくなったのであります。
官僚はたしかに頭がよい。
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松本清張『迷走地図(上)』より引用
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そうした「論理」を有つことが理論の党派性の大事な契機の一つなのだ。
戸坂潤『日本イデオロギー論』より引用
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しかし一方、ヴァンデ軍はラ・ロシェルを威嚇し、またガーンジ島水域では、クレイグ将軍にひきいられたイギリスの一艦隊が、優秀なフランス海軍士官たちと数個連隊のイギリス軍とを同乗させて、上陸せよとのラントナック侯爵の合図だけを待ちかまえていた。
この上陸作戦は、また王党派反乱軍に勝利をさずけるかも知れなかった。
そもそもピットは悪辣な政治家だった。
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ユゴー/榊原晃三訳『九十三年』より引用
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アメリカには何万人にも及ぶ王党派がいて、アメリカの地で反逆罪で裁かれる危険性があった。
イギリスはこれら王党派を使って戦いを展開する戦略を立てていた。
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党派の看板や思想の体系などは、彼らにとっては問題とならなかった。
肝要なのは「勇敢に思索する」ということだった。
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ロラン・ロマン『ジャン・クリストフ』より引用
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ブルボン王政はついに終わりを告げたが、同時に自由主義ブルジョワジーの政治も終焉した。
王党派はもはやパリでは存在を許されず、フイヤン派は完全に失脚した。
事件を聞いたラファイエットは、軍隊をパリに向けて進軍させようと試みた。
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しかし社会的な立場がどうあれ、王党派の女性は政治的少数派の一部であり、それゆえに近所や友人の支援も無くなっていった。
多くの王党派女性達は敵の中で生活するよりもその社会を離れる道を選んだ。
一人の女性が突然立ち退くとしても、この選択は家財一切を持たずに出て行くことを意味した。
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秘密が漏れるという理由だったが、むしろ彼がとまどったのは、班長の権限がかなり強く、その上のブロック委員に至っては指導者として彼らの上に厳然と君臨していたということだった。
ブロック委員はたいてい、組織の上部団体である党派の構成員だった。
青年組織の中で組織の活動に忠実な者は、ほどなく上部団体の党員になるよう勧められ、党員になると青年組織の幹部構成員になっていく仕組みだった。
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浅野誠『ビジネスマンの精神病棟』より引用
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おそらく、国民団結という新しい感覚の明白な印は、民主共和党の勝利であり、長い間の政敵連邦党が国の政局から姿を消したことである。
その結果はかつてないくらい党派抗争のない「好感情の時代」であった。
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しかしこれは、開拓者の圧倒的多数が公の問題には無関心で単に西部の土地に飢えた者達である地域のことだった。
住人の大多数は党派的な緊張関係や奴隷制の問題に無関心であった。
その替わりにカンザスの緊張関係は敵対する要求者の間の闘争になっていった。
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島のアフリカ人大衆は、島の海外貿易に対するフランス本国の規制を不快に思っていた富裕なヨーロッパ人農園主による独立の扇動について漏れ聞くようになった。
この階級はほとんどがフランスの王党派やイギリスに組していた。
というのも、もしサン=ドマングの独立が白人奴隷所有者によって成されたときは、プランテーション所有者はフランスの貴族に対して少しの責任も無く好きなように奴隷制度にあたるであろうから、アフリカ人大衆には過酷な待遇と不当な取り扱いが増えると考えられたからである。
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王政復古の否定は、たび重なる問題行動に敵意を深めていたアメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタらアオスタ派との対立を決定的にした。
両者の対立はイタリアの王党派組織を巻き込んだものにまで発展していった。
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またしてもネオ・ナチ運動のことが頭の中に起ってくる。
北ドイツの王党派の右翼は、ネオ・ナチ運動と連絡しているのだろうか。
山上は自分のバンガロウに戻った。
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松本清張『赤い氷河期』より引用
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小さい白いガウンの司祭はキリストの代行者であることを止めた。
儀式は死をすら党派化する、私は慣れない儀式を前にしてそんなことを思った。
弔問者たちは腰掛から立ち上り、外への流れを作った。
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きだ・みのる『道徳を否む者』より引用