先方衆

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  • 彼等を先方衆とすれば勝手知った城を攻め落とすのは容易だと家康は考えたのだろう。 新田次郎『武田勝頼(一)』より引用
  • 既に先方衆は坂の半ばまで来ていることを告げた。 新田次郎『新田義貞(下)』より引用
  • 建武二年八月八日の刻足利軍の先方衆が、新北条軍の柵に攻め掛った。 新田次郎『新田義貞(下)』より引用
  • だが、わが先方衆も、三名の者が敵の伏兵が放った矢に当たって死んでおります。 新田次郎『新田義貞(下)』より引用
  • 先方衆が疲れて休息すれば、それに変わる一隊が前に出た。 新田次郎『新田義貞(下)』より引用
  • 以後も武田家の信濃先方衆として活躍し、後の真田氏の礎を築いた。
  • 先方衆は真っ先に矢玉の前に立たされることになるから損害も多い。 新田次郎『武田勝頼(一)』より引用
  • 信氏は秋山虎繁配下となり、『甲陽軍鑑』では信濃先方衆に含まれている。
  • われらが露払いの先方衆となったとたんに、敵の物見らしい者を十名ほどからめ取りました。 新田次郎『新田義貞(下)』より引用
  • 信玄からは上野先方衆として騎馬30騎を与えられていたという。
  • 武田家中における西上野先方衆の一人として武田氏に仕え、川中島の戦いにも参戦した。
  • 姉川の戦いが大勝利となったのは、徳川軍の先方衆、小笠原軍の働きにあると云われているくらいだ。 新田次郎『武田勝頼(一)』より引用
  • 先に出したと言っても、万が一のことが心配だから、先方衆として脇屋義助の部隊を置いた。 新田次郎『新田義貞(下)』より引用
  • まず先方衆を賞したあとで、本国の甲斐の国から遠征して来た将士の名を挙げてその功績をたたえた。 新田次郎『武田勝頼(一)』より引用
  • 為冬卿はそれをいいことにして、佐々木道誉の軍を先方衆に立てて、足柄峠に向かって本格的な行進を始めた。 新田次郎『新田義貞(下)』より引用
  • 武田氏の信濃先方衆の1人として活躍し、下伊那攻めや北信濃攻めに従軍した。
  • このような場合は、その部隊を先方衆として敵に当たらせるか、その部隊を幾つかに分けて、他の部隊に編入してしまうのが当然のやり方だった。 新田次郎『新田義貞(下)』より引用
  • 新田軍の後を追って足利軍の先方衆が京都に入って来たのは、五月二十八日であったが、彼等は尊氏の命によって、しばらく京都の外にとどまっていた。 新田次郎『新田義貞(下)』より引用
  • 中将為冬卿は親王の言葉に逆うこともできず、ようやく納得したが、内心では自ら公卿侍五、六十人を引き連れて先方衆になってもいいと考えていたのである。 新田次郎『新田義貞(下)』より引用
  • 一時期越後へ入っていたようだが、後に武田方に再度降って信濃先方衆となった。
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先方衆 の使われ方