元就自身

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  • 毛利元就自身が自らの姿を彫ったものとされる木像を神体としている。
  • 元就自身が書いたとされる家系図にはこの元綱の子だけでなく三人の孫まで書かれており、この事件は元就の心に深く残ったらしい。
  • なお、元兼始め井上一族が横柄な振る舞いをしていたことは、元就自身による書状の中でも言及・述懐されており、専横があったことは確かなようである。
  • 元就自身はこの誅伐に関して手紙で、幼いころに所領を横取りされたことなど積年の恨みつらみを書きしたためているが、家臣を切るのは自分の手足を切るような悪い事であるから決してしてはならないことであると隆景に宛てて書いている。
  • 宍戸家家譜によると正月に数人の伴を引き連れて元就自身が宍戸氏の五龍城を訪れ、元源と馬が合ったため、そのまま2人で枕を並べて夜遅くまで語り合い、その中で元源の孫の隆家と娘との婚約が決まったと伝わる。
  • 題字は、元就自身の自筆書状のものを使用した。
  • 更に豊後の大友宗麟も豊前の完全制覇を目指しており、永禄11年には北九州での主導権を巡る争いの中で、陽動作戦として元就自身によって滅ぼされた大内氏の一族である大内輝弘に兵を与えて山口への侵入を謀るなど、敵対勢力や残党の抵抗に悩まされることになる。
  • しかし吉川興経らの裏切りや、尼子氏の所領奥地に侵入し過ぎたこともあり、補給線と防衛線が寸断され、更には元就自身も4月に富田城塩谷口を攻めるも大敗し、大内軍は敗走する。