元就の隠居

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  • 毛利元就の隠居城として使う予定があったものの、現実にそれが実行されることはなかった。
  • 父・元就の隠居表明後に家督を継ぐが、その後も実権を握っていた父に先立って死去したため、隆元自らが当主として実権を握ることはなかったが、優れた内政手腕によって父を陰ながら支え続けた。
  • しかし一方で、元就の隠居表明には狼狽し、「父が隠居するなら、自分も幸鶴丸に家督を譲って隠居する」と自棄的に嘆いたことがある。
  • そして、防長経略で周防国・長門国を勝ち得た1557年には毛利家の実権を隆元に譲ろうとしたものの、隆元が「防長まで拡大した領国を治めるには、父の後見が必要」として元就の隠居に強く反対して翻意を促し続けた。
  • 生涯を通して元就の忠臣であり、1546年の元就の隠居後、あるいは正式に家督が毛利隆元に譲り渡された1557年以後も児玉就忠とともに親元就派の立場を取り、隆元の奉行人である赤川元保らとは度々対立している。