元号を用い

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  • 漢風の廟号はなく、一般に即位当時の元号を用いて泰定帝と呼ばれる。
  • 高麗も第4代の光宗までは独自の元号が用いられたが、その後は中国の元号を用いた。
  • それまで宗主国である清の元号を用いていたが、清との宗属関係を廃止することを明確化する狙いで清の年号を廃止して独自の紀年法を用いることとしたものである。
  • 平山氏はこの時期の動静がはっきりしていないが、北朝元号を用いた文書を残していることなどから北朝方であったと推測されている。
  • ただし、元号を用いて正統帝、天順帝と呼ぶ場合もある。
  • イェスン・テムルは廟号を贈られなかったため、この元号を用いて泰定帝と呼ばれる。
  • 元号法は元号の制定手続きを定めているが、「政府機関は元号を用いねばならない」とは定められていない。
  • 楊行密は自立はしたもののあくまで唐の臣下としての立場を貫いており、死ぬまで唐の元号を用い続けた。
  • アリギバは即位後2ヶ月で廃位され、廟号を贈られなかったため、この元号を用いて天順帝と呼ばれる。
  • 私年号は、紀年法として元号を用いた東アジアにおいて、安定した統治能力を確立した王朝が定めた元号以外の年号を指す。
  • しかしその紀年には便宜上魏の元号を用いており、消極的ではあるが魏の正統を認める立場にあった。
  • この年、京都では「養和」と改元されたが、頼朝ら反平氏勢力はこれを認めずに「治承」の元号を用いた。
  • この間に京都では元号を「延元」と改めたが、尊氏はこれを認めず依然として「建武」の元号を用いた。
  • 李氏朝鮮では中国の元号を初めから用いたが、清に征服されその冊封を受けた後も、内心ではなおその正統性を認めずに国内文書では干支と国王の在位紀年が用いられ、また一部では明の崇禎の元号を用い続けた他、近代に入ると太祖李成桂が即位した1392年を元年とする「開国紀元」の使用が見られるようになった。
  • これらの点から、日本でもコンピュータでの処理に際しては内部で西暦を用いているが、全ての公文書では元号を使用することを始め、一般にも書類事務は元号を用いるというニーズが根強いため、表示や入力に際しては元号を使用できるアプリケーションが多い。
  • 元和通宝は、元和元年もしくは2年頃に鋳造されたとされる、江戸時代の元号を用いた銅銭であり、寛永通寳以前のものである。
  • 通常の聖職者は、元号を用いた。
  • 義持の没後、弟の義教が6代将軍に就任すると、持氏はこれに反発し、1429年に元号が正長から永享に改元されても持氏は正長の元号を用い続けるなど、幕府に対する不服従の態度を示した。
  • 「延元」はこの挙兵の最中の建武3年2月29日に建武政権によって行われた改元によるもので、当時既に持明院統の光厳上皇を擁していた尊氏はこれを認めず、建武政権崩壊後も引き続き「建武」の元号を用いた。
  • これによって「建元」「元光」「元狩」といった元号が作られ、以後、このような漢字名を冠した元号を用いる紀年法が行われるようになった。
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