儲けた子

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  • 二人の間に儲けた子のことなど、もうすっかり、二条は忘れはてたように見える。 杉本苑子『新とはずがたり』より引用
  • 家へ戻ると二人の間に儲けた子が十人も寄り集まる。 バルザック/小西茂也訳『風流滑稽譚(第三輯)』より引用
  • 義仙は柳生宗矩が側室との間に儲けた子で、幼名を六丸といった。
  • 吉茂も亦、年六十五で佐賀に卒するまでに儲けた子は全て女子だったので、宗茂を嗣としたわけである。 五味康祐『刺客(せっかく)』より引用
  • しかし、朱蒙が扶余にいた時に礼氏との間に儲けた子の孺留が来ると孺留を太子とし、朱蒙の死後は孺留が王位を継いだ。
  • 少なくない民衆は皇帝自らが剣を振るうことを嫌悪し、アントニウス・ピウス帝の娘小ファウスティナが剣闘士と儲けた子ではないかと陰口を叩いたと『ローマ皇帝群像』は主張している。
  • 彼が儲けた子はすべて独孤皇后が産んだ子である。 田中芳樹『風よ、万里を翔けよ』より引用
  • ただし、良民が相手を賤と知らずに婚姻して儲けた子は良民とされ、賤が所有者もしくはその親族である女性と結婚以外の方法で儲けた子については官有賤人とされた。
  • 三河の内藤氏は家長の祖父の代から松平氏に仕えた譜代の家臣の家柄であり、父・内藤清長が晩年になって儲けた子の家長は徳川家康に仕え、義兄の内藤信成から内藤家の家督を譲られて跡を継いだ。
  • 漢書かんじょ匈奴伝きょうどでんには、その後、李陵の胡地でもうけた子が烏籍都尉うせきといを立てて単于とし、呼韓邪単于こかんやぜんうに対抗してついに失敗した旨が記されている。 中島敦『李陵』より引用
  • 漢書の匈奴伝には、その後、李陵の胡地でもうけた子が烏藉都尉うせきといを立てて単于とし、呼韓邪こかんや単于に対抗してついに失敗したむねが記されている。 中島敦『李陵・山月記』より引用
  • 云うまでもなく、前田犬千代はお美代の方の生んだ溶姫が前田家へ輿入れして儲けた子であるから、林肥後守や水野美濃守などの一派は、家斉亡きのちも、今まで通り権勢が安泰だという次第である。 松本清張『かげろう絵図(上)』より引用
  • ヘンリー6世の異父弟エドマンドとジャスパーは、未亡人となった母后キャサリンがオウエン・テューダーとの間に儲けた子であり、後にそれぞれ伯爵に叙された。
  • 一族の穴山信君の娘を娶り、その間に儲けた子の信道は出家して顕了道快と号し、織田家による残党狩りを逃れたが、大久保長安事件に連座して伊豆大島に流された。