傾城水滸伝
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ほかに『水滸伝』ものとしては『新編水滸画伝』を著したこともある戯作家曲亭馬琴は特に水滸伝を日本を舞台とする物語に取り入れ、代表作となる『椿説弓張月』や『南総里見八犬伝』を書いた。また、パロディである『傾城水滸伝』も書いている。江戸時代後期の侠客である国定忠治の武勇伝はのちに『水滸伝』の影響を受けて脚色された。
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反面読本や草双紙、数は少ないが噺本や艶本の挿絵も数多く続ける。当時のベストセラー『傾城水滸伝』でも、師国貞や兄弟子国安に互して天保6年刊の十三編の挿絵を担当し、この頃には一流絵師の仲間入りしていたと言える。しかし同年から描き始めた自作自画の合巻は他の作者の改作が多く、評判は芳しくない。
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馬琴は『高尾船字文』『傾城水滸伝』など翻案作品を執筆しただけでなく、原典の翻訳『新編水滸画伝』の刊行に関わったほか、金聖歎による七十回本を批判して百二十回本を正統とする批評を行うなど、『水滸伝』の精読者であった。このほか、『三国志演義』が多く参照されている。
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馬琴は「回外剰筆」において、読者に自らの失明を明かすとともに、お路との口述筆記の辛苦を書き記している。thumb|曲亭馬琴の墓 馬琴は、お路を筆記者として、『傾城水滸伝』や『近世説美少年録』の執筆を続けたが、これらの完結を見ないまま、嘉永元年82歳で死去する。命日の11月6日は「馬琴忌」とも呼ばれる。
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二人は遠く離れて睨み合っていても天下の英雄は使君と操とのみと互いに相許していたに違いない。が、京伝は文化十三年馬琴に先んじて死し、馬琴はそれ以後『八犬伝』の巻を重ねていよいよ文名を高くし、京伝に及ばずと自ら認めた臭草紙でも『傾城水滸伝』や『金毘羅船』のような名篇を続出して、盛名もはや京伝の論ではなくなっている。馬琴としては区々世評の如きは褒貶共に超越して顧みないでも、たとえば北辰その所にいて衆星これを繞るが如くであるべきである。
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thumb|第二編、歌川國安画、文政9年『傾城水滸伝』は、曲亭馬琴作の合巻本。
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「通気粋語伝」は、水滸伝の舞台を傾城買いの世界にかえたもので、山東屋及二郎、その妻で背が高いので一丈青というあだ名のおさん、番頭の盧俊義、講釈師の呉用、相撲取の久紋竜進吉、草履取の李逵助、飛脚屋の戴宗、巾着切の時遷小僧などの名が見える。「いろは酔故伝」には鎌倉殿の権臣・高〓入道、その子武太郎、孫勝法師、宋次郎、深太郎などの名が、また「傾城水滸伝」には、青嵐の青柳、向う見ずの索城、雷の榛名、二鞭の芍薬などの女傑の名が見える。ほかに、水滸の名を題名に冠したり、部分的に趣向を借りたりしたものはかぞえつくせないほどの数にのぼる。
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