傲慢な振る舞い

17 の用例 (0.00 秒)
  • 足の悪いアンジーに興味を持ち傲慢な振る舞いをする彼女に対して、母親は何もいえない。
  • 芳賀高勝は傲慢な振る舞いを行ったために当主である宇都宮成綱との間に確執が生じた。
  • だが、軍使長束正家の傲慢な振る舞いに怒った総大将・長親は「戦」を選択した。
  • 武勇に優れていたことをいいことに傲慢な振る舞いが多く、酒に酔うと粗暴な振る舞いが多かったため、それを恨まれていたために殺されたのである。
  • 藍玉には軍功にたのんだ傲慢な振る舞いが多く、洪武帝からしばしば叱責を受けていた。
  • しかし兼序は文武に優れた人物であった反面、次第にその地位を笠に着た傲慢な振る舞いが目立つようになる。
  • しかしその後関東公方に従っていた房朝は越後に戻り、越後守護上杉房定に対し傲慢な振る舞いをするようになった。
  • バイラム・ハーンの代理人となった彼は重要な国事と財政の管理をつかさどったものの、やがてその傲慢な振る舞いから対立して追放された。
  • 世襲の芸人にありがちのことだが、若年時から遊里に出入りし、父の弟子を顎で使うなど傲慢な振る舞いが多く、周囲の憎悪を買うこともしばしばあった。
  • 明初期に軍事的功績を挙げて大将軍・涼国公に栄進したが、それによる思い上がりと普段からの傲慢な振る舞いによって 藍玉の獄と呼ばれる疑獄事件を引き起こした。
  • 陳舜臣はこれを、関羽も張飛も、共に低い身分から士大夫に出世したが、関羽の場合は今や同じ身分となった士大夫に対しての傲慢な振る舞いとなり、張飛の場合は士大夫に出世した事を喜んで同じ身分の者には敬意を払ったが、下の者に対して傲慢になるという正反対の行動になったと解釈している。
  • ただし学生時代、「ブラック家を実質的な王族と考えていた」両親に激しく反発した反面、5年次には傲慢な振る舞いも見受けられた。
  • さらに頼朝が義経のもとに奉行として派遣した梶原景時が、平家追討後の義経の傲慢な振る舞いについて訴えたことで頼朝の心証は一層悪くなった。
  • しかし、常治は傲慢な振る舞いをしていたらしく、管領で当主でもある斯波義淳を評して「管領の器にあらず」などと公言していた。
  • 戦国時代、井上光兼は近隣の有力国人である毛利氏に接近、毛利弘元の信任を得て勢力をのばし、光兼の子の井上元兼やその一族の多くは毛利元就の家督相続に貢献し毛利家中で重きをなしたものの、やがて傲慢な振る舞いで元就の怒りを買い、1550年の政変により元兼ら井上氏一族ほとんどが誅殺された。
  • 楊慎矜は王鉷の父・王晋とは従兄弟にあたり、王鉷の引き立てに力があったので王鉷に対して名で呼ぶなど、傲慢な振る舞いが多かった。
  • 眉目秀麗で聡明であったが、金の王族としての自尊心が強く、傲慢な振る舞いが多かったため、師匠の丘処機すら楊康をもてあましていた。