住んで居りまし
18 の例文
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その仏堂に私は住み込むことになりました。その仏堂の向いにまた小さな離れ家があって博士はそこに住んで居ります。で博士と私との御膳を拵えるために一人の下僕を置きました。
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私どもの今住んで居ります村は、京の北に当る鷹ヶ峯の麓でございます。村と申しましても、東西二百間、南北七町余、五十五軒の集落でございますが、住人は悉く本阿弥光悦由縁の者で、余人は一人も住んで居りません。
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大抵師匠の宅に住んで居りますので、ごく近い所なればあるいは通学する者もある。で就学の始めの日には朋友親戚に報らせます。
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この辺には欧州人の住んで居ります者もありますし、その中にも農業を営って居る者が多いようです。そのボェトン駅には郵便局もあれば天主教の会堂もありその会堂に付属した貧民学校もある。
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その船の中には多勢の鼠が、まるで船を城のやうに思つて大威張りで住んで居りました。船の底には小麦の粒や唐もろこしのかけらが沢山にこぼれてゐるし、それに喰べ飽きるころには船はまた次の島へ着いて珍らしい果物や美味しい食べものを積み込みますからいつも鼠たちはぜいたくな食べものや変つた果物を喰べ放題です。
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巴里で日本の宮様が借りていらしたという家にも行って見ましたが、ただ一階だけを借りて居られたので、二階三階にはどんな人が住んで居るかわからない。宮様でさえかくの如き有様ですゆえ、たいがいのところは一軒の家に何十人何百人という人が住んで居ります。
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駕籠が、かつぎ込まれたのは、そこから二里ばかり離れた、まんじゅう山とよばれる木が一本もない小山の中腹に建っている比丘尼寺でござんした。六十すぎた尼様が、たった一人、本堂裏の庵に住んで居りました。駕籠を、本堂の須弥壇前に据えて、戸をひき開けた忠治は、一瞬、唖然となったことでござんす。
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彼は活溌で、正直で、同情心が深かつたもので、大概の者は彼の味方になつて居りました。すると七郎の隣の街に覆面太郎といふ、熊坂長範のやうに悪い児が住んで居りました。七郎は今云つた通りおとなしい少年、それと反対な覆面太郎とはいつも喧嘩ばかりして居りました。
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萬に一つ八五郎が泥棒などをする筈はないにしても、この儘に放つて置いたら、どんな間違ひが起るかも知れず、一應自分の眼で向柳原の八五郎の家のあたりも見て置き、八五郎にそれとなく注意もして置きたかつたのです。賃仕事で暮してゐる八五郎の叔母は、問題の路地の一番奧に住んで居りました。その二階の、天井が勾配になつた六疊が八五郎の巣で、叔母さんに文句を言はれ乍ら、年中蛆を湧かせて居るのでした。
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この日の行程八里、ここは村というほどでもありませんけれども兵舎があって其舎に兵士が十六名居るです。その外にちょっとした一軒家のようなものがあって其家に兵士の女房などが大分住んで居ります。兵舎の横に高さ三十間以上の大きな白い岩がずぶりと立って居ります。
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父さんは子供心にも、そんな惡戲をする村の人達を何程憎んだか知れません。お家の土藏には年をとつた白い蛇も住んで居りました。その蛇は土藏の『主』だから、かまはずに置けと言つて、石一つ投げつけるものもありませんでした。
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私の名は篠田歌代と申します。父はある役所につとめて居まして、四五年前まで両親と私と三人暮しで名古屋に住んで居りましたが、その後父が転任することになって、東京へまいりました。ところが一年たたぬうちに父は病死して、母と二人暮しとなり、差し当り食うには困りませんでしたが、私はタイピストとなって生活の資けと致して居りました。
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その男が何という名で、何処に生れたものであるかということは今以てわかりません。殺された女は、ある人の妾で、女中と二人、浅草田町に小ぢんまりした家に住んで居りました。女中がその家に雇われたのは半年ほど前で、妾になった女も、女中の来る一週間前から、其処に家を持ったのだそうで、女中は、女が、その以前、何処に住って何をして居たのか少しも知りませんそうでした。
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遂々私はあの人の秘書という触れ込みで、男装して日本へ従いて来てしまったのです。そして小田切さんと会うために最初からこのホテルに宿をとって居りましたが、久子さんの御厚意で、あの方の家のお離室をお貸し下さることになったので、両方に住んで居りました。小田切さんと私とは忙しそうに家を出てはこのホテルで会っていました。
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二人は本当の新婚者の様に、恥かし相に顔を赤らめながら、お互の肌と肌とを触れ合って、さもむつまじく、尽きぬ睦言を語り合ったものでございますよ。その後、父は東京の商売をたたみ、富山近くの故郷へ引込みましたので、それにつれて、私もずっとそこに住んで居りますが、あれからもう三十年の余になりますので、久々で兄にも変った東京が見せてやり度いと思いましてね、こうして兄と一緒に旅をしている訳でございますよ。ところが、あなた、悲しいことには、娘の方は、いくら生きているとは云え、元々人の拵えたものですから、年をとるということがありませんけれど、兄の方は、押絵になっても、それは無理やりに形を変えたまでで、根が寿命のある人間のことですから、私達と同じ様に年をとって参ります。
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江戸から来たという東吾を、屋敷の広縁へ案内し、麦湯などをふるまってから、話をきいてくれたが、やがて家人を呼んで、 「藤兵衛を呼んで来なさい」 といいつけた。「藤兵衛と申しますのは、この先の水車小屋の近くに住んで居ります百姓でございますが、その女房は以前、江戸へ奉公に参りまして、お侍の家で下働きをしていたことがございます」 昨年の秋のこと、その藤兵衛のところへ江戸から若い夫婦が身を寄せた。
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その時にその男の話に兄弟三人離れ離れになって居ったけれども、後に一緒になって安全に故郷に帰って皆無事で暮して居るということでありました。それはさておき今度はちょうどセラに問答が十四、五日あるものですから、今度こそ充分問答をやってみようという考えで其舎に住んで居りますと、私の知合の人が死にまして、その葬式を送って行かなければならんことになった。
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