京の公家

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  • そのほかに京の公家徳大寺大納言実矩くげとくだいじだいなごんさねのりら九人が女連れで滞在たいざいしていた。 海音寺潮五郎『天と地と(一)』より引用
  • 光秀があのような大それたことを決意したのは、おそらく京の公家くげどもが煽動せんどうしたのであろう。 井沢元彦『日本史の叛逆者 私説・本能寺の変』より引用
  • 京の公家くげ根性になり切ってしまったのだとも思った。 海音寺潮五郎『平将門 中巻』より引用
  • 儒教式の観念的な道徳観は、当時の日本にはまだほんの一部の社会、京の公家くげ階級にしかなかった。 海音寺潮五郎『平将門 中巻』より引用
  • 娘はそれぞれ、京の公家・滋野井季吉と、水戸藩家臣・伊藤友玄に嫁いだ。
  • 京の公家たちは、不安な面持で信長の華やかな軍勢をみつめていた。 池宮彰一郎『本能寺(上)』より引用
  • 平安時代には存在し、すぐ近くにあった福原京の公家や平清盛などの武士も入浴したと言うが伝説の域を出ない。
  • 佐竹義隣の実父は京の公家・高倉家の高倉永慶であり、義隣は高倉家からの養子である。
  • 京の公家邸くげやしきと坂東の豪族館の風とを折衷した結構に見えた。 海音寺潮五郎『平将門 上巻』より引用
  • 京の公家くげ三条西家さんじようにしけというのがこの美濃に荘園を持っていて、実際にその経営に当っていたのが守護職の土岐家なんです。 半村良『戦国自衛隊』より引用
  • 京の公家や六波羅探題の情報はこれ以上無いので、後世の鎌倉側の記録に戻るが、『鎌倉年代記』にこうある。
  • 信頼はそうした武蔵国を中心とした地盤から、保元の乱により摂関家家政機構の武力が解体した後においてはそれに代わって関東の武士達を京の公家社会に供給できる立場にあった。
  • その中には非常な富豪もあって、徳川時代に知名の学者に依頼したり、或いは京の公家衆に因縁を求めたりして、都合のよい説を宣伝した。 喜田貞吉『賤民概説』より引用
  • しかし、やがて、京の公家くげ衆というものが、朝廷というものが、どんなものか、おわかりになるであろう。 海音寺潮五郎『平将門 上巻』より引用
  • 仕方なく光國は自分でやることにし、卜幽に作業を打ち切っていいと告げ、代わりに京の公家たちから秘蔵の書を筆写させてもらってくるよう頼んでいた。 冲方丁『光圀伝』より引用
  • 京の公家くげの娘だった。 今邑彩『赤いベベ着せよ…』より引用
  • そのため、有職故実に長けた京の公家出身の女中がこの役職に就くことが多く、彼女たちのほとんどは御台所や御簾中の輿入れに伴って奥入りしたと考えられている。
  • 義根の親しく交わる人々には、京の公家が多い。 海音寺潮五郎『列藩騒動録(三)』より引用
  • 相当学問があり、詩に巧みで、時々京都に遊んだが、血統が血統であるので、京の公家くげ衆も尊敬して交際した。 海音寺潮五郎『列藩騒動録(三)』より引用
  • 境内にある掲示板の由緒によれば、創建の年代は不明であるがこの地には昔から人が住んでいて、藤原左衛門丞がわけあって京の公家を離れ東国に下向したときに、この地の草分け八軒衆と呼ばれる家の1つ三橋孫六家にしかるべきお墨付きと大神の神事を授け、自らの土地を寄進し根津神社と称したことに始まるという。
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