五十四郡
17 の例文
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彼は夢から覚めたような気持になった。五十四郡の運命にかかわる大事の場合に自身だけの事に没頭していては済まないと思った。自分は今心を鬼にしなければならぬ時だ。
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みちのくにもコイはすまぬ。そこは五十四郡もある。しからばコイの生ずると、生ぜざるとは、その国の大小によるものではない。
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それにしてもまだ斬ると申すか。主水之介眉間に傷はあるが、由緒も深い五十四郡にたって傷をつけるとは申さぬわッ。探るべき筋あったればこそ探りに這入った隠密、斬れば主水之介も鬼になろうぞ。
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血もあり涙もある上申致そうぞ。さすれば五十四郡も安泰じゃ。早う帰って江戸への謝罪の急使、追い仕立てるよう手配でもさっしゃい。
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コイツは可笑しい、ハハハハハ痛い痛い痛い横腹の痛みをしゃくッて馬鹿に痛いよ。しかし思案の臍という臍が五十四郡に一ぱい並んで居ると思うと馬鹿に可笑しい。しかもその臍の上に一つずつ土瓶が掛けてあってそれが皆茶をわかして居ると思うといよいよ可笑しい。
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通う夢路は京か三河か日光か。それとも五十四郡の仙台か。久方ぶりに帰って来た大江戸の灯も、そろそろ始まりかけた退屈ゆえに、一向なつかしくもないもののごとく、軽いまどろみをつづけたままなのでした。
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そんなのはないよ。五十四郡の思案の臍と来るよ。思案の臍とはどんな臍だろう。
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直参旗本早乙女主水之介が将軍家のお手足たる身分柄を以て助勢に参ったのじゃ。わが手は即ち公儀のおん手、要らざる妨げ致すと、五十四郡が五郡四郡に減って行こうぞッ。
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ただ抜群なる手柄だけでありさえすれば何のことはないのですが、実は、これらの物体は皆、観瀾亭の床下にあるべき品ではなく、五十四郡の伊達家の宝蔵の奥深く存在していなければならないはずの物体のみでありました。最初の諸士を中心として、松島のすべて、塩釜方面と瑞巌寺の主なる面々が、みんなこの観瀾亭に集まって、縁の下の獲物の検分に移ると、舌を捲かないものはありません。
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盗人の方でも、かなり本場を踏んで、五十四郡をのんでかかろうって奴でなけりゃやれません。年の頃だってそうでございます、まあ、この兵助と、おっつかっつでございますね、かなり甲羅は経ていますよ。
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これをたすける人々には、結城宗広、伊達行朝、そのほか、奥州五十四郡の心ある武士どもがあった。
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わからば元より、江戸大公儀御差遣の隠密に傷一つ負わしなば、伊達五十四郡の存亡にかかろうぞ。匆々に捕り方退かせて、江戸へ申し開きの謝罪状でも書きしたためるが家名のためじゃ。
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それは粗相をした延宝で、小便がしたくなつても、じつと坐を立たないで、その儘袴のなかに洩してそ知らぬ顔をしてゐたところに、確に五十四郡の太守たる貫目がある。
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ここはその磯節にまでも歌詞滑らかに豪勢さを謳われた、関東百三十八大名の旗頭、奥羽五十四郡をわが庭に、今ぞ栄華威勢を世に誇る仙台伊達の青葉城下です。
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平安中期の『和名抄』には36郡160郷があげられているがその後次第に増え、『太平記』では「奥州五十四郡あたかも日本半國に及べり」といわれ、以来陸奥国といえば54郡といわれるようになった。しかし実際には陸奥国の郡数は時代によって増減しており一定ではない。
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これがいわゆる天下三分の計である。孔明は劉表、劉璋の悪口を言いまくり、前もって制作しておいた〝天府〟西蜀五十四郡の地図までひっぱり出して虚実ないまぜの熱弁をふるったらしい。南宋の大儒朱子は、 「推うに、歴代、数言をもって天下の計を定めたるはまず諸葛亮の隆中対ならん」 とひいきひきたおしに褒めている。
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