五十七才
全て
名詞
18 の例文
(0.00 秒)
-
「日本兵は一九四四年八月にやって来た」 一人の肉付きのいい男が言い、もう一人も、 「俺たちはその頃、山に隠れていた」 と言った。五十六歳と五十七歳の農民は、当時のことを断片的ながら覚えていた。二人によれば、当時ポリリオ島はアメリカ人バーナード・アンダーソン率いるアンダーソン・ゲリラの支配下にあり、日本兵が兵舎を建てる前年の一九四三年にはバンラ岬にもゲリラたちが姿を見せるようになったと言う。
...
-
荀子増註の序、標注准南子の序等の自署に拠るに、信濃の人で、一説に安藝の人だとするは疑はしい。天保六年閏七月十三日に歿したとすると、此時五十七歳であつた筈である。序に云ふ。
...
-
といって、基一郎が疲労を覚えなかったわけではない。五十七歳といえば当時の人間にとってすでに老境である。忙しく患者に対するとき、愛想よく従業員に語りかけるとき、胸をそらして客を迎えるとき、その顔には光沢と張りと活気があり、その頭脳は機敏に、その口はなめらかに動いた。
...
-
すべてが異例ずくめの、松下ならではのトップ人事であった。新社長に選ばれた山下は、ソニーの岩間和夫と同じ一九一九年生まれの五十七歳。とりわけ若いという年齢でもないが、高齢化が著しくしかもヒエラルキーの徹底している松下役員陣の中では、下から数えて二番目である。
...
-
二十六名の委員の最年少が五十七歳、最高が九十歳、委員の平均年齢が六十九・五歳だ。これはいい加減老人だよ。
...
-
-
夫人が童話を書いたのは、孫のカミーユとマドレーヌのふたりに、この『新仙女物語』のなかにはいっている「ウールソン」のお話を、はなして聞かせたのがきっかけです。夫人はそのとき、五十七歳でしたから、ずいぶん晩年になってから、ものを書きはじめたわけですね。その晩、ヌエットの夫人の屋敷には、小説家のウジェーヌ・シューや、やはり小説家でジャーナリストであるルイ・ヴィヨが、きていました。
...
-
宗教的求道者の多くが、また旅の空に生涯する者の多くが、妻を持たない以上に、武蔵が妻を娶らなかったことも、不思議ではないし、無理もないのである。彼が細川忠利から宅地をもらって、安住の日を得た時は、もう五十七歳だった。おそらく、妻を娶る間も、何を顧みる間もなかったのである。
...
-
淀君は文禄二年八月三日に秀頼を生んだ。秀吉五十七歳の老後の子だから、さすが曠世の英雄もその愛情は殆ど盲目的であった。彼は秀頼がまだ二歳にもならないのに関白秀次の女と婚約を結ばせている。
...
-
昭和四十六年 一九七一年〈五十七歳〉 東京大学文学部講師になる。
-
途端、笑い声が溢れた。五十七歳にしてようやく心が不惑を覚悟した。そんな確信があった。
...
-
末っ子のエイミーとして物語に登場したメイを、希望通りヨーロッパに留学もさせルイザ自身もヨーロッパの旅を楽しんだ。彼女は生涯結婚せず、ボストンで生活を父と共にし、一八八八年三月、父の死を追うように五十七歳で世を去った。
...
-
宗教的求道者の多くが、又、旅の空に生涯する者の多くが妻を持たない以上に、武藏が妻を娶らなかつた事は、不思議ではないし、無理もないのである。彼が細川忠和から宅地をもらつて、安住の日を得た時は、もう五十七歳だつた。妻を娶る間も、何を顧る間もなかつたのである。
...
-
指定広域暴力団、関州連合会長の並木喜太郎が、共鳴興産社長の荒又と、協産ファイナンス前副社長の石水を都内某所の豪邸に呼びつけたのは、十月二十三日日曜の夜だ。並木は五十七歳だが、銀髪を七三に分け、風貌も柔和で一見紳士然としている。一メートル七十八センチの長身で、堂々たる押し出しだ。
...
-
ここで息が上がるようなら「魔の山」の領域に足を踏み入れる資格はないということだ。十七年前は記者生活の不摂生が肩で息をさせたが、今回は五十七歳という年齢が脈拍数を何割か増加させているようだった。衝立岩に登る。
...
-
被害者の一人が、五十七歳の岩手県出身者であることを新聞記事で知り、私は一瞬、この男と同一人物ではないかと気になった。額の出血がなかなか止まらないので、私はポケットから取り出したハンカチを差し出した。
...
-
この時は東軍についたので、その功によって一万石をうけた。顔には、もう五十七歳の皺が深くなっていた。茶の湯の名人として、位置は遥かに高いところに在った。
...
-
取締役に就任したのが五十三歳。常務が五十七歳だからサラリーマンとしては順調な出世といえる。高野の出世を裏付けるのがビクターの業績である。
...