互楽

全て 名詞
16 の例文 (0.00 秒)
  • 晩年は大阪に出て互楽派に入るも、間もなく死去。 ...
  • 師匠が設立した「藤明派」に真っ先に参加、解散後は残党を集めて「互楽派」を立ち上げた。 ...
  • 長年桂派に席を置き素噺をしていたが桂派の全盛期で周囲に人気者が多くぱっとしなかった、最後の師匠3代目文三が桂派を離れ京桂派を立ち上げたときは師匠と背を向け人手の少ない互楽派に移籍したが、いくばくもしないうち死去した。 ...
  • 一時、一流の桂派の寄席にも出演したが、主に互楽派や大八会の二流の寄席で活躍し、典型的な端席芸人だった。 ...
  • なお、連珠の初代永世名人である高山互楽とは黒岩涙香本人であり、高山互楽は彼の号である。 ...
  • 明治39年、この年あたりから本格的に連珠に取り組みはじめ、高山互楽とも交流があった。 ...
  • 藤明派の解散後、1905年に互楽派を結成。 ...
  • 髙橋清致、高山互楽らが東京聯珠社を起し、同社が聯珠段位を与えることとなったときに、四段を授かる。 ...
  • 後に5代目林家正三の門下となり、互楽派に加入。 ...
  • 生まれて間もない頃から楽屋に乳母もらいで出入りするようになり、1909年、父の門下となり、子役の色物として立花家小円丸を名乗り、互楽派の松島文芸館で小噺を語って初高座。 ...
  • 高山互楽の後援によって、磐井楽在、小日向梅軒らと共に斯界唯一の雑誌『聯珠新報』を発行し、数万人の読者を得る。 ...
  • 大阪阿波座問屋町の金網職人の倅で、素人落語や俄の舞台を経験した後、1905年に2代目桂文之助の門下で文の家春輔を名乗り、この頃は互楽派所属で活躍した。
  • 高橋清致の聯珠界引退後の明治43年1月、東京聯珠社の社長が高山互楽となると主席理事に就任し、本業の麦商を廃業して、斯道に尽力する。 ...
  • 師匠の影響で「藤原派」「互楽派」に参加、解散後は「寿々会」「浪花三友」「浪花」「吉原」「反対派」「花月」などを転々、主に神戸を中心に活動する。 ...
  • 明治30年代の「藤明派」「互楽派」分派を経て、1906年、対立する「浪花三友派」を仕切っていた堀江「賑江亭」席亭の藤原重助が死去したことにより桂派は三友派と和解、「桂・三友両派大合同興行」を行った。 ...