三番叟
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名詞
159 の例文
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もともと蒲柳の性質である。三日間続く三番叟はそれだけでも兄の身体にも心にも負担に過ぎる筈だった。達拝拍子を踏む弥太郎の足に痙攣が走っていた。
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維新のヒノキ舞台で三番叟をつとめたのは、高杉晋作だといわれている。プロ野球にたとえていうと、松陰は長州〝勤皇チーム〟の監督というよりも、打撃コーチで、一番打者は高杉ということになる。
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凧屋のおやじさんは、ただせわしそうに下をむいて熱心に糸目をつけているので、清造もおびえずに、店さきに近よって、じっと店の中のいろいろな絵をながめまわしました。くるくると目のまわるようにできている、さんばそうの凧がありました。店の中に風が吹きこんで来るとたんに、さんばそうの目がくるりとひとつまわりました。
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即ち「夷舞はし」は人形操に依つて生れた漁撈農耕の豐饒を祈る祝祭的行事であるが故に、民衆の要求に從つて民族心理の變化と共に演ずる内容形式に變化を受けるであらうと云ふ事は自然の經路であるからである。之れに比較すれば「三番叟」は比較的によく古來の形式を守つて來てゐるらしい。何故なら「三番叟」そのものが古く能樂以前から一つの形式が出來てしまつて居り、その出來上つた形式を人形に持ちこんだのであるから、一種の宗教的儀式の如く餘りに多く時代的變化を蒙ることなしに、忠實に傳統を遵奉されて來たものであらう。
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現存するのは、猩々緋大幕と女三番叟踊りのからくり人形だけである。人形の製作年代・作者とも不明であるが、13本の綱を5人で操作するこの人形踊りの複雑巧妙なことは当町一番である。
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くるくると目のまわるようにできている、さんばそうの凧がありました。店の中に風が吹きこんで来るとたんに、さんばそうの目がくるりとひとつまわりました。清造は、「あっ」といって驚いて目をつぶると、いきなりまた、例の沼が目の前に浮かんで来たのです。
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すなわち、持ちが翁面を舞台に運び、千歳の舞の後、翁大夫は舞台上で白式尉の面をかけて舞う。その後、三番叟が、最初は直面で舞い、続いて黒式尉の面をかけて舞う。thumb|right|200px|梅若六郎|55世梅若六郎の『安達原 白頭・長糸之伝』前シテ 能楽師にとって、面に生きた表情を与えることは最大の難関である。
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此猿楽なる地狂言が、三番叟だけは保存してゐたと言ふのは、江戸芝居と一つで、翁が猿楽の目じるしだつたからであります。三番叟を主としたのは、猿楽の中の猿楽なる狂言だからでせう。
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現に『勧進帳』初演の時は、観客のほうがこの舞台に戸惑いほとんど評判にはならなかったという。ただし三番叟物を上演する場合には、つとめて能の形式に倣おうとしていたようである。しかし明治以降、徳川幕府の滅亡により能楽が武家の式楽であるという縛りは無くなり、演劇改良運動の流れも手伝って、歌舞伎の興行で能狂言の曲目を長唄の所作事にし、能装束に松羽目で演じるものが多く上演されるようになる。
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声にならない驚愕が弥三郎の唇に上った。面箱の中には翁の「白式尉」はなく、三番叟の「黒式」の面だけだったのである。観世若之丞の顔にも明らかな狼狽が走った。
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戎橋松竹、旧うめだ花月で活躍。生涯ほとんどトリを取ることなく、いわゆる三番叟であった。
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翁が神歌を謡ひながら舞うた跡を、動作で示すのが三番叟である。三番叟を勤める役者が、狂言方から出るのには、深い意味があつて、動作が巧妙だからだなどゝ言ふ、単純な理由からではない。
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翁の外に、松風丸と言ふ女面があり、三番があるのが普通の様です。翁の言ひ立ての後で、三番叟が出て、翁のおどけ文句以上に、狂言を述べる。松風は所作はわからぬが、千歳の若役を若女形でするので、田楽らしい為方です。
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ワレのような小僧に何がわかるか。あの逆立ちは芸当の小手調べチウて、芝居で云うたらアヤツリ三番叟や。軽業の礼式みたようなもんやけに、ほかの芸当は止めてもアレだけは止める事はならん。
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太夫の三番叟でも御覧になるんでしたら、暗いうちからお起きにならないと、間に合いません。
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三番の到着はフランス古代武者の谷森真男氏。四番におやおや喜びあれやと踊り込みしは山内書記官の三番叟。五番に一輛の箱馬車玄関に着するや否や、ブウと一声馬車の内より法螺を響かせながら、しずしずと立出づるは高島嘉右衛門氏の山伏。
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室町時代以降父尉は省略し、翁を能楽師が、三番叟を狂言師が担当する。いずれも筋立てというほどのものはなく、老体の神があらわれて天下泰平・国土安穏・五穀豊穣を祝祷する神事的な内容である。
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