三昧
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名詞
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薫の人物像はこの後の王朝物語、鎌倉物語に強い影響を与えた。源氏の弟・八の宮は二人の娘とともに宇治に隠棲し、仏道三昧の生活を送る。みずからの出生に悩む薫は八の宮の生き方を理想としてしばしば邸を訪れるうちに、ふとしたことから長女・大君に深く心を引かれるようになる。
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三畳の檻も広くはないが、二十一から二十四までも短くない、苦しかったはずだ。おれもかなりしたい三昧はしたが、まだ檻へブチ込まれた経験はない。でも、この野郎、ドコまでものんき千万に出来上っている。
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俺の忠告に従つて文学三昧も好い加減に止めにして政治運動をやつて見い。奈何ぢや、牛飼君の許から大に我々有為の青年の士を養うと云ふて遣したが、汝、行つて見る気は無いか。
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それをすましてから、黙想にはいった。三昧に入りながら、黙然として幾時かそのままじっと坐っていた。人の出払ってしまった村のなかは、物音ひとつしない。
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八支ヨーガの三昧は、無種子三昧の外的部門とされている。瞑想への直接的な手段作法、三昧に至る手段として、とが説明されている。イーシュヴァラ・プラニダーナとは、最高神イーシュヴァラへの祈念であり、クリヤー・ヨーガ、ニヤーマのひとつの方法である。
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いや、その間だけは恋の無常さえ忘れていると申してもよい。じゃによって予が眼からは恋慕三昧に日を送った業平こそ、天晴知識じゃ。われらも穢土の衆苦を去って、常寂光の中に住そうには伊勢物語をそのままの恋をするよりほかはあるまい。
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わたしの芸術がわたしのものであるのと同様に、ここではわたしの信仰もまたわたしのものである。引っくるめて言えば、わたしにおいては芸術三昧即信仰三昧なんであろう。
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どうやら、午後は選りすぐってきた論文で、勉強三昧のつもりらしい。
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妻は、外語学院、フランス学園、W大学の講師をしている。彼は家に籠って画筆三昧の生活を送っている、というのであった。彼の話し方は気持がよかった。
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それはまれに南仏その他への旅行で中断される創作三昧の日々だった。われわれとしては、ここでもはや彼の主要作品とその出版年次を記すにとどめよう。
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さうかと思ふと殿のやうに女を女と思はず自分さへ歡樂を恣にすればそれで好いと思つてゐる人もある。情の赴くまゝにまかせてしたい三昧のことをしてゐる人だちもある。未來のことなどは少しも思はずに、人の夫であらうが、人の妻であらうが、そんなことには頓着せずに、たゞ愛慾にのみ耽つてゐる人だちもある。
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この日は、午後から母は出かけていた。月曜、水曜、金曜の週三回、彼女は三昧線の稽古に行っているのである。稽古が済んだあとも、そこで知り合った友だちとお茶を飲んだりして、帰りはたいがい暗くなってからになる。
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彼がふと寺の縁に立つと、あの富士と自分と融け合う三昧が現前したのである。もう、そのときは彼には、こんなことは珍らしくもうれしくもなかった、邪道でもあることさえ判っていた。
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当時僕は三十五だったが、結婚なんてことは、首つりと同じように、考えてもいなかった。若い娘なんか味もそっけもないものに思えて、道楽三昧に耽っていたものさ。ところが五月に、ノルマンディに住んでいた従兄のシモン・デラベルの結婚式によばれたんだ。
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カメラマンのK君も、N君もふとんの中でマンガを読んでいる様子だ。勿論雪担さんも自室に閉じ込もってマンガ三昧にふけっているのだろう。二泊三日の東山寺ではわれわれはまるでお客扱いだ。
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まもなく、川崎の「薄田拳闘クラブ」に通い、本格的にボクシングを始めた。このころから、喧嘩三昧の生活を送るようになり、愚連隊の世界に入っていった。少年院で、井上喜人と知り合い、兄弟分となった。
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これはハタ・ヨーガと呼ばれている。内容としては印相や調気法などを重視し、超自然力や三昧を追求する傾向もある。教典としてはスヴァートマーラー『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』、『』、『』がある。
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