三万余騎

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  • 源氏六千余騎、 平家三万余騎、 源氏は川を押し渡って戦い、さんざんな目に合った。 ...
  • 三万余騎の大軍をひきいた敵の大将、阿里奇さえ、小石一つで落馬させてしまう。 ...
  • そこであらためて「平家追討」の軍・三万余騎が組織され、範頼を総大将として西に下った。 ...
  • 新たに調えた軍勢三万余騎のうちに、姜維きょうい、張翼の両将を加え、また関興、張苞もき具して、急援に馳せたのであった。 ...
  • 天正の十三年、即ち政宗の父輝宗が殺された其年の十一月、佐竹、岩城以下七将の三万余騎と伊達勢との観音堂の戦に、成実の軍は味方と切離されて、敵を前後に受けて恐ろしい苦戦に陥った。 ...
  • 評定の一決を見ると、さすがに名門の出であるし、多年の人望もあるので、兵三万余騎を立ちどころに備え、夜を日についで、河南の陳留へ馳せのぼった。 ...
  • 天正十五年二月、大和大納言やまとだいなごん秀長が、上方勢かみがたぜい六万余騎に中国勢三万余騎をくわえた大勢をもって、三原弾正のこもっている日向ひゅうがの高城を、襲った時のことである。 ...
  • 「呂布ならば」と、誰も皆、心にゆるしたが、王允は、李粛、皇甫嵩こうほすうにも、兵をさずけ、約三万余騎の兵が、やがて郿塢へさして下って行った。 ...
  • 宛然さながら急湍きゅうたんに乗ったような、颯爽さっそうたる突撃ぶりは、その祖父十郎左衛門氏正が、姉川の合戦において、朝倉勢三万余騎のまっただ中へ、単騎をもって斬込んでいったさまを彷彿ほうふつとせしめた。 ...
  • 「呂布ならば」と、誰も皆、心にゆるしたが、王允は、李粛、皇甫嵩にも、兵をさずけ、約三万余騎の兵が、やがて〓塢へさして下って行った。
  • 玄徳はなだめて、留守中は何事も堪忍かんにんを旨とせよと訓え、また、陳登ちんとうを軍師として、 「万事、よく陳登と談合して事を処するように」 と云いのこし、やがて自身は、三万余騎を率いて、南陽へ攻めて行った。
  • 志田義広の方は、三万余騎の軍勢をひきいて、鎌倉さして進むのですが、下野の豪族で、当時天下に最も高名であった勇士、足利又太郎忠綱を語らって、共に進んで来ます。 ...
  • 石橋山から行方知れずになった頼朝が、わずか一ヵ月の間に、総勢三万余騎で、隅田川をこえ、大井をこえ、徐々、西上して来る形勢だという。 ...
  • 張〓が自信満々に構えた三ヵ所の陣は、またたく間に打ち破られ、三万余騎の兵力も、遂に二万余人を失って、張〓自身、かろうじて瓦口関にまで落ちのびて行った。 ...
  • 張郃ちょうこうが自信満々に構えた三ヵ所の陣は、またたく間に打ち破られ、三万余騎の兵力も、遂に二万余人を失って、張郃自身、かろうじて瓦口関がこうかんにまで落ちのびて行った。 ...
  • 氏康の軍勢は氏政従臣松田尾張入道、同左馬助、大道寺駿河守、遠山豊前守、波賀伊像守、山角上野介、福島伊賀守、山角紀伊守、依田大膳亮、南條山城守など三万余騎。 ...