万金丹
全て
名詞
16 の例文
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死んだ女房お梅に会って語り合おうというわけだ。そこで一袋の万金丹を全部火にくべたが女房の幽霊が現れない。モウモウたる煙にめげず必死にバタバタ火を煽いでいると、裏で戸を叩く女の声がする。
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よう調べてみると、ほんのふた月ばかり前にその男が長崎に持ってきた荷物は行李三杯のまるめだけということがわかったとよ。早い話が行李三杯の万金丹が鉄砲二十丁と遠眼鏡六個に化けたという話たい。国友屋というそん男は、二十丁分の手形を遠眼鏡の分も合わせて、がぼっと懐に入れて帰ったとだけんね。
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朝熊永松寺には、実季の用いた食器などの日用品が現在も残されている。伊勢朝熊に蟄居した際に万金丹を制作したという逸話が残る。実季の帰依した若狭国小浜の羽賀寺に僧形像 が残り、福井県の有形文化財に指定されている。
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ルシンドを治療するどころか、どうでもいい議論を始めたり、挙句診察してもそれぞれ結果が全く違う有様。医者に失望したスガナレルは、どんな病気にも効くと、当時流行っていた万金丹を買いに町へ出かけて行くのだった。そこへクリタンドルが医者のふりをして登場。
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解けぬ謎 荒い格子に瓦家根、右の方は板流し!程よい所に石の井戸、そうかと思うと格子の側に朝熊万金丹取次所と金看板がかかっている。
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中学生のころから忘れない落語であったが、この反魂丹というものがむかし実在し流行した富山の薬の実名だということは富山売薬史を読むまで知らなかった。してみると、この落語の作られたのは案外近年で、富山の反魂丹というものがすたれて売れなくなり、万金丹なぞだけがハバをきかすようになったころの作なのだろう。富山の名薬反魂丹が世上に知られたのは富山城二代目前田正甫という殿様のときで、延宝年間のことだという。
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三重県伊勢の朝熊山に明治の頃まで万金丹薬舗があった。法界坊 歌舞伎狂言『隅田川続俤』などに登場する鐘勧進の乞食坊主。
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「クスリ九層倍」とか「鼻クソ丸めて万金丹」などという俗言が生まれたのもそのためだろうが、今日では、「効かない」薬は市場には現われない仕組みになっているといってよい。それだけに、新薬の創出というのは、つくられた化合物の一万に一つぐらいしか当たらないといわれるほど、スペキュレーション的性格を帯びている。
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なにか言うどすぐに天狗ば持ぢ出して、いきすかね人だごど。富山の万金丹じゃあんめぇし、テ・ン・グの三言、そうなにさも効く言う訳には行がねぇべなし!
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飯道山修験に勧進を請負わせた寺社には、愛宕神社・伏見稲荷大社・多賀大社・石山寺・竹生島宝厳寺・金剛證寺などがある。また、飯道山の山伏は、配札に際して、万金丹・もぐさ・神教御腹薬などの薬を配っていることから、甲賀郡の配置売薬の起源とみなされている。いずれも旧常福寺の伝来である。
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あのお雪さんの養子になってるのは、やっぱり万という名だからさ。私がね、小さい時、万はもう大きな身をして、良い処の息子の癖に、万金丹売のね、能書を絵びらに刷ったのが貰いたいって、革鞄を持って、お供をして、嬉しがって、威張って歩行いた児だものを。
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ひでえにもひどくねえにも、よく仲間がやる落語に「万金丹」てのがあって、道に迷った江戸っ子二人、山寺へ一夜の宿を借りると、世にも奇妙な味の雑炊をたべさせられる。
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その資金を彼は郷里の父君に相談したらしい。ご存知の通り万金丹の富山である。彼の家も売薬に関係した家業だった。
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豚箱などは、のどかであった。越中富山の万金丹でも、熊の胃でも、三光丸でも五光丸でも、ぐっと奥歯に噛みしめて苦いが男、微笑、うたを唄えよ。私の私のスウィートピイちゃん。
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法然上人の頭の形に似ているのでこういう。万金丹 丸薬の名。
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