一幕物
99 の例文
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外には絶板になっているのと雑誌に出た一幕物と二つあるばかりです。どれも側から失敗の作だと云ったので、作者も跡を作らないのでしょう。
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この芝居を観て彼は大いに感激し、将来劇作家になろうと決意した。彼らは合作で一幕物を三つ書き、アドルフがそれをパリへ持って行った。だが脚本はどれも送り返されてきた。
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「父帰る」には、土地の方言が書かれ、生まれた町の風土感がよく出ている。短い一幕物を多く書いたのは、愛読したアイルランド劇の影響である。
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この戯曲では、一枚の肖像画が転々と人手に渡り、それぞれ様々な思い違いを経ていさかいを起こすが、最後には高まる笑いのうちにすべてが一挙に解決する。一幕物ながら多幕物に見られるような巧みな構成を持っている。
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なんだか念の入った一幕物を見ているような感じだった。もっともあとで、押見は弓子にペロリと舌を出して言った。
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といっても小説は「博物誌」を書いたルナールらしく、本にしてたった二、三ページの、コントともスケッチともつかない短篇である。さらにこれはルナール自身によって一幕物の戯曲にされているがこれとて登場人物はたったの四人。ついこの間民芸で宇野重吉がやったのをご覧になった方もおられようが、まず一時間半くらいのものである。
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戯曲界の大立物だと彼らから言われている一人の男の書いた物を、彼はことに知りたかった。ところが、その大劇作家はただ一幕物を一つ作ったのみだと知って、彼はびっくりした。しかもその一幕物が、最近十年間にわたって彼らの雑誌の一つに発表された、一連の短編というよりむしろ一連の小品からでき上がった一つの長編小説を、さらに抜粋してきたものであった。
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戦後の演芸が下がかってくるのも是非がない。浅草の劇場では以上述べたようなジャズ舞踊の外に必ず一幕物が演ぜられている。戦争後に流行した茶番じみた滑稽物は漸くすたって、闇の女の葛藤、脱走した犯罪者の末路、女を中心とする無頼漢の闘争というが如きメロドラマが流行し、いずこの舞台にもピストルの発射されないことはないようになった。
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彼がプラットフォーム・グループ・シアターという劇団に書いた一幕物の戯曲である『The Glass God』の初演は1982年、ダブリンのルルドホールシアターであった。これはスラプネルの共同のタイトルに示されるように一幕物の芝居の3つのうちの1つであった。彼の最初に書いた戯曲であり、ドニゴールの小さな町で余剰人員の解雇という問題に直面した女性労働者のグループを扱った『シャツ工場の女たち』も1982年が初演である。
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これはファウストには限らない。先頃沼波武夫君は一幕物の中のサロメの誤訳を指摘してくれられた。近比伊庭孝君は同書の中の痴人と死との誤訳を指摘してくれられた。
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幼少期の頃から科学とSFに興味を持ち、7、8歳の頃には、本を書くこと、映画の製作、何らかの科学者として働くことを人生に費やしたいと考えるようになっていた。行っていた映画の自主製作では、イギリスの脚本家のの一幕物の映画化権利を購入したこともあった。大学まで進学し、西オーストラリア大学で数学の理学士号を取得している。
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その出し物についても、一同は協議に協議を重ねたが、これといふ目星しい案も浮かばない始末である。興行政策からいへば一幕物を三つ並べるより、三幕物を一つ出す方がいゝらしい。一幕物といへど大抵は小劇場向きである。
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それは多分、この系列の一幕物が、現在の私にとって、詩作の代用をしているからであろう。私は二十代に入ると同時に詩作をやめてしまった。
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しかし立派な服装の人たちが一杯に席を埋めていました。私たちは補助椅子といったようなものをあてがわれて、隅の方に小さく控えていると、第二の一幕物がもう終るところでした。プログラムを観ると第三が松王で、それが今度の呼物であるということが判りました。
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彼の目立ちたがり屋で派手好きな性格が、金に糸目をつけずに舞台を作るという経営方針を生んでいた。しかしこの方法だと、ブッフ・パリジャン座のような出来て間もない新しい劇場では慢性的な赤字を呼ぶこととなり、それまでのような一幕物だけでは限界が来ていた。そこでオッフェンバックは、もっと手っ取り早く稼ぐ方法として、1幕以上の規模の大きな形態での作品の上演を目指そうとした。
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彼は常に芝居のために書きたいと望んでいたが、いつも霊感に裏切られたのだった。紙挾みにはたえず、自己流の一幕物か二幕物がはいっていた。しかしその価値についてはあまり自信がなくて、かつて判断に供するの勇気がなかった。
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初演はジャン・ド・ロトルーの悲劇『ヴァンスラス』と2本立てであった。本作は一幕物にしては複雑な構成を持っているが、上演時間は1時間にも満たないため、その後もほかのさまざまな悲劇や喜劇と合わせて上演された。しかし『才女気取り』ほどの成功を収めることはできなかった。
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